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二度ととは?

[ 356] 「こんなことは二度と」
[引用サイト]
http://www.onweb.to/palestine/siryo/notagain.html

こんなことは二度と起こらないでほしい。僕たちは銃撃音を聞いた。銃撃音そのものはいつも聞いているけれど、あのような狙撃兵の連続射撃は格別に不安をかきたてる。僕は、あの一撃を聞いた。叫び声を聞いた。振り返ると、オレンジ色の蛍光ジャケットが地面に転がっているのが見えた。頭から血が流れていた。一瞬、何をしたらよいのかわからずに無意味に動いていたが、すぐに医療トレーニングのスイッチが入った。パレスチナ人のメンバーが彼を移動させようと抱きかかえた。「動かさないで!」と、もうひとりの医療メンバーのアリスと僕は叫んだ。ようやく彼を舗道に横たえると、僕は安全パッドを取り出して出血をとめようとした。こんな時にはゴム手袋のことなど考えもしない。血は後頭部から流れ出していた。とめることができなかった。すぐに彼は再び抱え起こされてタクシーに乗せられた。「救急車を待ってくれ!」と説得しようとしたけれど、みな動転しきっていた。そして、彼は、僕らのもとから引き離され、茶色のメルセデスで病院に運ばれていった。救急車が到着したのはほんの数分後。でも、遅すぎた。彼はもう行ってしまっていた。目を落とした僕は、血まみれの安全パッドをまだ握っているのに気づいた。瞬時、本能的に投げ捨てようと思った。みんなが道路にゴミを捨てるように。でも、僕にはそれを手放すことができなかった。病院にタクシーを走らせている間、ずっと握りしめ、手術室を囲む石壁に寄りかかって坐り込んでいた時もまだ、しっかりとつかんでいた。
地面に横たえて応急処置をほどこそうとした時から、僕にとって彼はもう死んでいた。アリスは人工呼吸を試みたけれど、僕は無駄だと思っていた。僕らの手から引き離されてタクシーに乗せられた時も、僕にとって彼は死んでいた。ナジャール病院からキャリアで運び出されてハンユニスのヨーロッパ病院に搬送された時でさえ、僕の心の中で彼は依然として、もう生きていなかった。今、彼は、ベール・シェヴァのサローカ病院にいる。生命維持装置のもと、脳死状態ではあるが、まだ呼吸は続けている。でも、彼の心臓がどれほどコンスタントに拍動を続けていても、僕はずっと彼のことを過去形で語っている。レイチェルが死んだ時、彼女が本当にいなくなってしまったことを受け入れられるようになるまで、しばらくの時間がかかった。今、僕が彼を死んだものと受けとめているのは、この新たな別れに前もって備えることによって、レイチェルを失った時の気持ちを埋め合わせようとしているのだと思う。
彼の名前はトーマス・ハーンドール(Thomas Hurndall)。ロンドンから来た。ここにやってきた時、メンバーにすでにトムという名のイギリス人がいたので、彼は自分でタブという名を選んだ。だから、僕にとって彼はタブだ。タブは、いつでもどこでも僕たちの助けが必要とされる時、パレスチナの人たちを守ることに途方もない情熱を発揮した。僕たちは、エジプトとの国境間際のラファ難民キャンプ、イーヴナにいたが、それは、タブが、この近郊に継続的なイスラエル軍の銃撃が行なわれていて、住民が日々犠牲になっていることを知ったからだった。前日の朝に撃たれた2人の兄弟のことを知ると、タブは、外国人としてイーヴナにいつづけることに全力を注ぐことにした。レイチェルが破壊を阻止しようとして死んだ、医師の家のベッドに横になっている時に銃撃音を聞いて猛烈に腹が立って、絶対にここから離れないことにした──そんなふうに、タブは言った。タブは、いつも一番危険なエリアにいるのを望んでいた。死を望む殉教者コンプレックスなどではない。単に、最も危険な場所が、最も外国人の存在を必要としているところだとわかっていたからだ。タブは、ターゲットにされている可能性が最も高い家に泊まる準備をしていて、僕たちが大きな横断幕をかかげるのを手伝ってくれた。イスラエル軍の戦車が夜な夜な激しい銃撃で近隣の住人を威嚇していたモスクの前にテントを設営する計画が進んでいて、タブはそれにかかりきりになっていた。タブが撃たれた日、僕たちはテントを張るためにモスク前に向かっていたが、パレスチナ人のメンバーが銃撃に危険を感じて、計画は中止ということになっていた。
僕たちが到着した時、戦車はすでに所定の位置にいて、一帯に銃撃を行なっていた。近くの監視塔も参加して、びくついた狙撃兵の射撃も続いていた。僕たちは道路封鎖物の陰に隠れて、どうすべきかを話し合い、その間に、ローラは数人のパレスチナ人メンバーと一緒に様子を見に出ていった。ローラは、僕たちのトレードマークになっている、反射性の太いラインが入ったオレンジ色の蛍光ジャケットを着ていて、外国人であることは一目瞭然だった。それにもかかわらず──いや、それだからこそなのだろう、イスラエル兵たちはローラの周囲に的をしぼってきた。ローラは、両側に弾が飛んできて動けない、と言った。ローラが何とか僕たちがいるところまで来ると、塔の狙撃兵は、僕たちが隠れている封鎖物そのものに銃撃を向けてきた。封鎖物の上には遊んでいる子供たちがいた。子供たちが封鎖物の上で遊ぶのはいつものことなのだが、銃弾が飛んできたおかげで、みないっせいに四方に逃げ出した。しかし、おびえきって動けなくなった男の子がひとりいた。その子に気づいたタブは本能的に封鎖物の陰から走り出し、無防備な罪もない子供の周りに着弾する銃撃の様子を見きわめつつ、素早くその子を移動させた。そして、安全な場所に運んで、戻ってこようとした時、タブは、封鎖物の前、銃弾の飛んでくるラインの真っ只中に2人の女の子がうずくまっているのに気づいた。その子たちを助けに走り出たタブを、塔の狙撃兵がターゲットにし、大口径の狙撃弾を直接、彼の頭部に撃ち込んだ。タブは、塔からはっきり見える位置にいた。そして、ローラと同様、誰にでもはっきりと識別できる衣類を身に着けていた。僕たちは、メンバーそれぞれの大使館に、僕たちがこにいることを報せていたし、大使館はそのことをイスラエル軍に報せていた。
銃撃を行なっていた兵士たちは、タブが誰かを知っていた。タブが何者で、何をしているかも知っていた。イスラエル兵士の物理的な安全にとって、タブが何ら脅威でないことも知っていた。しかし──タブの存在が国際的な注目を引いていることは、おそらく理解していただろうし、僕たちの「人間の盾」としての活動によって、彼らがパレスチナ人に目論見どおりの脅威を与えパレスチナ人の家屋を目論見どおり破壊するのが妨げられていることも知っていただろう。そういうわけで、タブは、彼らにとって脅威だったのだ。イスラエルが世界に向けて示そうとしている自身のイメージにとって脅威だったのだ。占領の正当性にとって脅威であり、パレスチナの人々は非人間的なテロリスト以外の何者でもないという、彼らにとって疑問をさしはさむ余地のない考えにとって、脅威だったのだ。塔の狙撃兵は、このような挑戦を許容することはできなかった。そして、それを終わらせるために、死という手段をとった。僕たちはせめて、こうした行為がどのような逆効果をもたらすかを、きちんと見とどけなければならないだろう。
タブのことは、それほどよく知っていたわけではない。タブは1週間前にやってきたばかりだったが、ヴィザの期間いっぱい──丸1
カ月──滞在する予定になっていた。その前は1週間、ヨルダンで難民活動をやっていて、さらにその前には2週間、イラクで「人間の盾」と救援活動をやっていた。タブはすばらしい才能のあるカメラマンで、アラブの人たちに対する果てしない人権侵害の現状をドキュメントに撮ることに情熱を燃やしていた。中東に来たのは今回が初めてだったが、ヨルダンとイラクでの3週間によって、この種の活動にもかなり熟達するに至っていた。成熟した精神の持ち主で、何事にもこだわらない大らかな性格だったが、信じがたいほどの情熱と断固たる意志を持っていた。タブがまだ21歳だというのを知った時、僕は本当にびっくりしたものだ。僕と同じ年の生まれだとは。
あの日、僕はタブを連れてラファの街中を数時間歩きまわり、何枚もの写真を撮った。僕たちは、記録とプロモーションの目的を兼ねて、街のフォト・イメージと僕たち自身のここでの活動の写真を編集したいと思っていた。子供たちはカメラが大好きで、いつまでたっても僕たちの周りから離れようとしない。これは大方の人間が音を上げる、ちょっとくたびれることなのだけれど、タブは結構おもしろがっていて、子供たちが騒々しく「名前はなんていうの」とか「こんにちは」とか言うたびに、いつも楽しそうに笑っていた。もういくつかの手口を覚えたよ、たとえば、最後の最後の瞬間までカメラを取り出さないとか──そんなふうにタブは言った。
あの日、僕たちは、この地の危険に関する話さえしていた。僕たちの誰ひとりとして、その危険を真に理解してはいないこと、僕たちはいずれここにはいなくなるのだから、といったことを。僕はこんなふうに言った──このところの僕たちに対する暴力行為を体験したあとでも、僕はまだ、外国人であるというステイタスに安心感を感じている。外国人が意図的なターゲットになっているとは思わない。僕たちの活動が効果を上げていることで、無謀さと敵意が増幅されているだけだ。彼らが、明らかに外国人とわかっている者を公然とターゲットにしない限り、僕は決して怖じ気づいたりすることはないと思う。彼らが、僕らの仲間のひとりを意図的に殺さない限り、僕はパレスチナの人たちが体験している恐怖を本当に感じることはないはずだ……。運命は何と不思議な働きをするのだろう。
僕は今、ここにとどまりつづけられるかどうかわからなくなっている。ここには絶対に外国人がいる必要があると思うし、イスラエル軍が、こうした暴力でISMを怖じ気づかせられるなどとは決して思わない。こうした暴力は、僕たちの活動が大きな効果をあげるようになっていることを明らかにするだけだし、今こそ、僕たちはここにとどまって、さらに強い存在感を示す時だと思う。でも、今の僕には、もうほんの少しのエネルギーしか残っていない。レイチェルの死も、僕からずいぶんエネルギーを奪っていったけれども、でも、同時に、もっとここにとどまって、オリンピア市との姉妹都市プロジェクトと、イスラエルのラファ占領と戦う非暴力直接行動に全力を注げ、と、鼓舞してくれた。そうした目的を達成するために、僕は5月の終わりまでとどまる計画を立てて、実際に、少なくともそれだけのエネルギーは残っていることもわかっていた。でも、今回の出来事で、僕はあっという間に歳をとってしまった。この土地に、この種の活動に、僕は本当にちゃんと対処できるのか──そう自問するしかなくなっている。
これから、タブがどうなるのか、誰にもはっきりしたことはわからない。しかし、いずれ、生命維持装置をはずすかどうかについて、家族は悲しい決断をしなくてはならなくなるだろう。タブが死んだら、僕もパレスチナを去らなければならない。こうしたシャヒードが生まれる活動にかかわることは、もうできない。軍事調査にも、もう参加することはできない。喜んで協力してくれるパレスチナ人、外国人の目撃者は、大勢いた。レイチェルの死に関するメディア活動と法的な活動はこれからも続けるが、2つの活動に対処することは、僕にはできない。ただ、できないのだ。自分の限界を知ったことは、ここでの僕の個人的な成長の決定的な一部になっている。僕は「ノー」と言うことを学んだ。それを今、ここでも言いたい。この言明は、どんなメディア活動、法的な活動のプロセスにも使えるだろう。でも、もうたくさんだ!
こんなことを言えるなんて、僕は何と特権的な地位にいるんだろう。もうたくさんだ!となった時に、強烈な出来事の数々を詰め込んだ頭のレジスターに、この体験を加えて、この地から離れられるなんて、僕は何とラッキーなんだろう。しかし、僕がこの地を離れることができるのは、もっと長期的なかかわりのために戻ってくるという条件がある限りにおいてのみ──この地の驚嘆すべき人々との連帯は、まだ始まったばかりなのだから。
[トム・ハンドールさんは2004年1月13日にロンドンの病院で意識が戻らぬまま、息を引き取った]

 

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