| このページは 04月のキャッシュ情報です。 |
以下とは?
[ 14] 受水タンク以下の装置の取扱規程
[引用サイト]
http://www.city.hamada.shimane.jp/gaiyou/reiki_int/reiki_honbun/r1320741001.html
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第1条 この規程は、浜田市水道給水条例(平成17年浜田市条例第226号。以下「条例」という。)第48条の規定に基づき、受水タンク以下の装置の取扱いその他に関し、必要な事項を定めるものとする。 第2条 この規程において「受水タンク」とは、市の施設した配水管から分岐して設けられた給水管により、集合住宅又は住宅団地等に給水するため加圧及び貯水の目的で受水するタンクをいう。 第3条 受水タンク以下の装置を設置しようとする者は、管理責任者を定め、請書(様式第1号)を管理者に提出しなければならない。 2 前項の管理責任者は、善良な注意をもって装置を維持管理し、その使用に関する事項を処理しなければならない。 第4条 受水タンク以下の流末装置の工事をしようとする者は、申請者(様式第2号)を管理者に提出しなければならない。 第5条 メーターの点検、給水量の算定、料金及びメーター使用料の徴収は、管理者が設置するメーターにより行う。 第6条 この規程の取扱いについては、条例第11条から第18条まで、第26条、第27条、第30条、第41条の規定を準用する。 2 この規程の施行の日の前日までに、合併前の受水タンク以下の装置の取扱規程(昭和48年浜田市水道事業管理規程第1号)の規定によりなされた手続その他の行為は、この規程の相当規定によりなされたものとみなす。 1 受水タンク以下の装置(以下「タンク以下装置」という。)は給水装置の構造及び材質に関する水道法及び水道法施行令に定める基準に適合していること。 2 タンク以下装置は、水道法(昭和32年法律第177号)でいう給水装置ではないので、タンク以下装置及びそれにより供給される水の水質等の管理は、管理責任者が責任をもって行うこと。 3 前項の管理責任を果すため、漏水防止、修繕工事及び水質管理等については、事故発生時における対策、修繕工事を行う者の指定等具体的な対策を設けること。 5 受水タンク流入口に至るまでの給水装置には、浜田市長がメーター(以下「親メーター」という。)を設置する。 6 タンク以下装置に各戸がメーター(以下「子メーター」という。)を設置する場合は、管理者の指定するメーターを設置するものとする。なお、検定期限の満了及び故障の場合は取り替えるものとする。 7 給水料金は、親メーターの指示水量により計算して施設管理責任者に請求し、施設管理責任者は、各戸から分割徴収し、まとめて浜田市長に納入するものとする。なお、親メーターの指示水量が子メーターの指示水量の総和を超える場合は、その差水量分の料金は、タンク以下装置の中で使用されたものとみなす。 9 浜田市水道給水条例及び同施行規則の改正その他取扱基準について変更のあった場合は、この許可条件を改正することができる。また、申請者がこの許可条件を履行しないときは許可を取り消すことがある。 10 上記許可条件のうち、各戸の使用者の利害に直接関係ある事項は、申請者において各戸の使用者に周知徹底させること。なお、各戸の使用者においてこの許可条件につき、問題を生じたときは、申請者の責任において解決すること。 1 タンク以下装置は、水道法(昭和32年法律第177号)でいう給水装置ではないので、タンク以下装置及びそれにより供給される水質等の管理は施設使用者が責任をもって行うこと。 2 前項の管理責任を果たすため、漏水防止、修繕工事及び水質管理等については事故発生時における対策、修繕工事を行う者の指定等具体的な対策を設けること。 3 申請者が子メーターを設置する場合は、浜田市長の指定する子メーターを取り付け、検定期限の満了及び故障の場合は申請者が取り替えるものとする。 |
[ 15] Action Potentials: 閾値以下
[引用サイト]
http://d.hatena.ne.jp/kay-j/
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ここ最近、WinBUGSで遊んでいたのだけど、きちんとベイズ統計を勉強しようと思って注文した本、Bolstad "Introduction to Bayesian Statistics" を読了。うーん、これはあまりに基礎的すぎて、まったくもの足りない。著者が序文に書いてあるとおり、この本はまだ統計を始めたばかりの学生たちのために書かれたベイズ統計学入門なので、仕方がないといえば仕方がないのだが。 ISSに滞在する宇宙飛行士たちはもうすぐ、カブトガニのもつ原始的な酵素を病気の診断に使ったハイテク医療機器をテストする予定だ。 2006年11月16日:想像してみよう -- 火星へのミッションの途中で、急に気分が悪くなった。ものを飲み込むときにのどが痛いし、熱もあるようだ。病気になって、他のクルーたちにうつしたりするわけにはいかない。抗生物質をとるべきだろうか。でも、どんな種類の抗生物質をとればいい? NASAのマーシャル宇宙飛行センターでは、外部の研究者たちとの協力して、小さなチップ上のバイオ実験室が開発されており、これを使えば5分とかからずにその答えがわかるかもしれない。 地球では病気を診断するいちばん確かな方法は、体液(咽頭培養や血液・尿のサンプルなど)を採取して、ラボでいろんな培養培地のはいったペトリ皿のなかで培養する、というものだ。培養することによって、感染がウイルスによるものか(この場合、抗生物質は効かない)、あるいは細菌やカビによるもにか(これには効く)、はっきりとわかる。さらにはその種や、どんな抗生物質がいちばん効くかも特定できるのだ。 「大腸菌やサルモネラ菌といった、いわゆるグラム陰性菌は、黄色ブドウ球菌のような陽性菌とは違った抗生物質に反応します」と、マーシャル宇宙飛行センターでLOCADのプロジェクト・マネージャを務めるジンジャー・フロレスは説明する。 ただし培養には2, 3日かかり、実際そのあいだに病気がひどくなることもあって、これはあまり現実的ではない。LOCAD-PTSなら、これがすぐにできる。「5〜15分くらいで結果がでます」と言うのは、このプロジェクトの主席研究員でチャールス・リバー株式会社の研究開発部長のノーマン・ウェインライト。「しかもこれはとても感度がよく、たった1つの細胞でも感知できるのです。」 このハイテク機器は、地球上でもっとも古い生物の1つ、カブトガニの血液細胞から抽出された4つの酵素を使っている。「カブトガニは3億年も前から存在する生物で、非常に原始的かつ、それでいて鋭敏な免疫システムをもっています」(ウェインライト氏)。たった1つの細菌でも、カブトガニの免疫システムの酵素を刺激するに充分であり、これによって血液を凝固させて傷口をふさいでしまうのだ。 その優れた感受性と機敏な反応性から、医療研究分野において、この酵素は医薬品の効果を確かめるのにとても役立つものとなっている。(毎年カブトガニから少量の血液を採取して海に返してやっても、その生きものを傷つけるわけでもないし、また今のところ代替合成物になるようなものもない。) そしてこのカブトガニの酵素こそが、LOCAD-PTSをこれほど小さく、感度よく、かつ速くしているのだ。まず、ごく少量の酵素がチューブのようになった水路に注入され、乾燥される。ここに液体サンプルを注入すると、酵素が再水和される。もしそのサンプルに細菌が混じっているなら、その毒素が酵素を刺激し、液体の色を変化させる。そして細菌の数によって色も変わっていくのだ。 12月に打ち上げが予定されている実験パッケージは、LOCAD-PTSと従来どおりのペトリ皿のやり方と、どちらがよいか比較するものだ。6週間のあいだ、宇宙飛行士は週に1回、やわらかい粘着パッチを剥きだしの壁に押しつけ、そのまわりをかるく綿棒でふき取る。綿棒に付着した細菌はLOCAD-PTSに、粘着パッチに付着した細菌のほうはペトリ皿で培養される。数日後、細菌のコロニーが従来どおりのやり方でカウントされる。 ところでこの実験は、宇宙にいるのが人間だけではないという事実をうまく利用している。宇宙ステーションの表面は、ここ地球上の壁、床、キッチンのカウンターとまったく同じように細菌だらけなのだ(「1個の細菌にとっては小さな一歩だが・・・」)。 もちろん、ウェインライトとフロレスは速さにおいてはLOCAD-PTSが勝つと予想しているが、精度においてはどうだろうか。まだいちばんわかっていないのは、LOCAD-PTSが細菌の種類を分析することにどれほどうまくいくか、また細菌のコロニーの数に対して色の変化をどれだけよくカリブレーションできるか、だ。「また私たちは、この機器が微重力下の宇宙飛行士にとって、簡単に扱える実用的なものかどうかも知りたいと思っています」とフロレスは言う。 最初のLOCAD-PTSはグラム陰性菌だけをテストするが、「グラム陽性の細菌や酵母菌、カビやある種の化学物質に対するテストも私たちはのちに計画しています。」 最終的にすべてがうまくいけば、病気の宇宙飛行士ののどからサンプルを1回注入してやるだけで、数分のうちに「アモキシシリンを2錠とってまた明日受診してね」といった診断を下してくれるようになるかもしれない。 2006年11月9日:常識的には月は死んだ天体だ。でもその「常識」は間違っているかもしれない。 今日付けのネイチャー誌によると、ブラウン大学のピーター・シュルツ(Peter Schultz)教授らの研究チームは月に最近、地質学的な活動があった証拠を公表した。月の火山活動はもう何十億年前に終わったと考えられていたが、月面には少なくとも1ヶ所、この1千万年以内にガスの放出があったとみられる場所があり、いま現在もそれが起こっているかもしれないというのだ(Schultz, Staid and Pieters, Nature, 444, 184)。 そこは「イーナ(Ina)」と呼ばれる一見奇妙な地質学的特長のある場所で、月の北緯1度、東経5度に位置するラクス・フェリシターティス(Lacus Felicitatis)という、古くに溶岩の湖がかたまってできたなかに存在する。「イーナは最初、アポロ計画の宇宙飛行士たちによって発見されました」とシュルツ教授は言う。写真の右、「2kmぐらいの大きなアルファベットのDみたいな形」をしているのがそれだ。 まずイーナには不思議といえるほどはっきりとした輪郭があること。「あれほどはっきりとした形はそれほど永くはもちません。まず5千万年やそこらで崩れてしまうにちがいありませんから」とシュルツ教授は話す。月面においては小さな隕石の雨が常に降っており、時間が経つにつれ山やクレーターを削り倒してしまうのだ。イーナの形がはっきりしているのは、それがまだずっと年代的に若いことを示している。 もう1つ、イーナにはほとんどクレーターが存在しないこと。小さな隕石が地形をなめらかに削ってしまうのに対し、より大きな隕石や小天体はクレーターを作る。地形の表面が古いほど、より多くのクレーターができる。シュルツ教授によれば、「イーナにはまったくと言っていいほどクレーターはありません。8平方kmほどのその地形には、30mを超える明らかな衝突クレーターは2つしか見つからないのです。」このことからもイーナは若いとみられる。 そして、イーナが明るく、変わった色をしていること。月面の石や土は時が経つにつれ、黒っぽくなる。これは宇宙の気象によるものだ。絶え間なく降りそそぐ宇宙線や太陽放射、隕石は月にあたってその地面を暗くする(そのメカニズムはここで説明するにはちょっと込み入りすぎているが、その効果にはまったく疑いはない)。しかしイーナは、まるで新しい土がほじくり返されたばかりのように明るい色をしているのだ。さらにイーナの色は、クレメンタイン月探査機の分光器によると、月面のもっとも新しいクレーターの色に似ている。イーナは衝突クレーターでないにもかかわらず、だ。 [写真]イーナとその近くにあるまだ新しいクレーターの偽色写真。青い色はごく最近露出したチタンの玄武岩を示し、緑色は若い(比較的宇宙の天候にさらされてない)土壌を示す。(写真提供:NASA) これらはすべて、ガスの放出を意味している。「私たちが思うには、ガスの急な放出が起こり、表面の堆積物が吹き飛ばされたことによって、それまで晒されることのなかった土壌が現れたのではないでしょうか」をシュルツ教授は説明する。これは必ずしも活発な火山活動を指し示すわけではない。「イーナにあるような地表が現れることは、(クレーターを中心としてそのまわりに明白な放出物の拡がりを造るような)マグマの爆発的な放出を示唆するものではありません。」あるいは、何百年、何十億年も表面下に溜まっていたガスが、たとえば最近の月震によって放出されたという可能性もある。イーナが2つの川状裂溝‐‐直線的な溝のような地形‐‐の交差点(地球ではこれは地質学的に活発な地域)に存在することからも、この解釈には説得力がある。 「アマチュア天文学者たちは長年、月面からの噴出や閃光を報告しています」とシュルツ教授は言う。多くの職業天文学者たちは月が不活発であることを主張しているが、アマチュアたちによる目撃証言はまだこれに疑いの余地を与えている。シュルツ教授はこのことについて真剣に取り組み始めるべきときがきたと考えている。「プロとアマチュア天文家の両方を交えて行なう観測キャンペーンなどは、月の地質学的活動にさらなる証拠を築くための1つの手段でしょう。ガスの放出それ自体は1秒間やそこらしか見えませんが、これによって引き起こされる土煙は30秒間ほど持続します。いまあるような警戒ネットワークがあれば、これはプロの望遠鏡を動かして、そこでなにが起こっているか確かめるには十分な時間です。」 また監視すべき場所もたくさんあるかもしれない。研究者たちは、同じ川状裂溝のそばにイーナに似た地形を少なくとも4ヶ所、そのほか隣接する川状裂溝地域にもいくつか発見している。 こういったガスが将来の月開拓者たちにとって役に立つようなことがあるだろうか?シュルツ教授はこれを肯定的に見ている。「これらの噴気孔からは二酸化炭素、あるいは水の蒸気すら排出されている可能性はある。もちろんまずはガスの放出がほんものかどうか、またそのガスがなんなのかを確かめなければなりませんが。」これによってイーナは将来、ロボットや人間による月面開拓にむけて興味深い場所になる。 HBOによる、ディーボルド社電子投票システムの不正疑惑についてのドキュメンタリ。その投票機は2000年の大統領選挙でアル・ゴアにマイナスの得票数をはじきだし、口のあいたままのFTPサーバに放置されていた(!)集計プログラムは、MSアクセスでパスワードもなしに簡単に票操作が可能。そのほか、ディーボルド社と共和党との繋がりや、フロリダ州の選挙管理事務所から捨てられていたゴミ袋のなかの集計結果、などなど。番組の最後のほう、カメラの前で実際にPCカード一枚で不正がおこなわれる様子が衝撃的。田中宇の記事(「不正が予測される米中間選挙」)も参照のこと。 幹細胞研究を支持する上院議員候補のためにパーキンソン病を抱えるマイケル・J・フォックスがでているTVキャンペーン。これに対し、保守系のラジオ番組ホストのラッシュ・リンボーが「あの症状は大げさ。薬を飲んでないか、あるいは演技」とぬかして大問題に。さすがにリンボーはこの発言について謝罪したものの、「病気を過度に利用して民主党議員への応援を煽っている」と批判。 いや、別に自分の病気をその目的のため政治的に利用するのは悪くないと思うけど。パーキンソン病の症状やのちのその進行を考えると、むしろ彼の行動は勇気あると言っていい。問題のTVCMがyoutubeに。どうみてもL-dopaによるジスキネジアです。 1はデイヴィッド・ロッジ『作者を出せ!』(ISBN:4560047979)の原著。先月ようやくペーパーバック落ちしたのでさっそく注文。これを読んだら、未読はあと『交換教授』以前の初期ロッジを残すのみ。2はマルカム・ブラッドベリの遺作。昔読んだ "Doctor Criminale" がとても面白かったので、こちらも長いあいだ読んでみたかったのだ。3はジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』(ISBN:4794214642)の原著。こちらも今日ペーパーバックがでたばかり。4は C. R. Rao の著作を Amazon でブラウズしていたときにリコメンドされたもの。副題が『統計学はいかに20世紀の科学に革命をもたらしたか』。面白そうだったので買ってみた。 それから来年のために南極カレンダー(ISBN:0763191183)と IMAX映画『スペース・ステーション』のDVD(ASIN:B00080ETMM)もいっしょに注文。クリスマスプレゼントとして頂いた Amazon のギフト券をいっぺんに使い果たしてしまったぞ。 マルカム・ブラッドベリの作品についてはあまり日本で紹介されていないようなので、ついでに昔の日記から彼の "Doctor Criminale" を読んだときの感想をひっぱりだして以下に転載しておこう。 Malcolm Bradbury, "Doctor Criminale"(Penguin Books, 1993)読了。冷戦崩壊直後のヨーロッパを舞台にポストモダンな現代思想界を風刺したマルカム・ブラッドベリのコミック・ノヴェル。日本語訳は出版されていない様子。しかしこれ、めちゃくちゃ面白いんですけど。主人公は、ひょんなことからTVドキュメンタリー番組「グラスノスチの時代の偉大なる思想家たち」のプロダクションに参加することになった若き文芸ジャーナリストのフランシス・ジェイ。彼の課題は、東欧出身の謎に満ちた哲学者で「90年代のルカーチ」とも評判されるバズロ・クリミネールについての調査を行なうこと。クリミネールは誰もが認める現代の大思想家でありながら、その経歴・思想遍歴を見てみるとまったくつかみどころがない人物なのだ。世界各地の学会に神出鬼没するクリミネールを追いかけて、ジェイはウィーン−ブダペスト−北イタリア−スイスとヨーロッパ中をさまようことになる。 途中まではデイヴィッド・ロッジの『小さな世界』みたいなお話かなと思ったのだけど、最後の3章でクリミネールの正体が明かされる過程がびっくりで痛快。どこまで笑っていいのやら。どうやらクリミネールの存在自体がポストモダニズムの象徴になっているらしく、彼についての唯一の評伝は文字どおり著者不在のテクスト、どこまで信じていいか怪しい「書かれていることではなく、書かれていないものを読む」べき文章で、これを基に主人公がクリミネールを脱構築するという、いかにもそれっぽい設定になっているのも粋だ。作中ではマーティン・エイミスやスーザン・ソンタグ、ボルヘスなどの文学者に加え、ブラッドベリの文学的相棒であるデイヴィッド・ロッジらしき人物までもちらっと顔を出すサービスぶり。読んでてニヤニヤしてました。 いつもは衛星写真ばかりの Earth Observatory の画像集に、なにやら可愛らしい写真が。南極の氷床を背にした寒そうなフクロウのぬいぐるみ。教育プログラムの一環として送られたバージニア州のある学校のマスコットらしい。写真の背景、薄い氷床の壁を透過する日光量の違いによって、夏のあいだの雪と冬のあいだの雪とが区別できる。記事は氷床コアサンプルからの古気候研究の話。 積読状態にあった "Small Things Considered"(ISBN:1400040507)を読み始める。モノのデザインについての読み物で、最初の3章ほど読んだところだけど(今のところ)つまらーん。デザインはさまざまな条件から制約を受けるから完璧なデザインなんて存在しない、なーんてそんなの当たり前です。 |
[ 16] 食塩覚書その2(食塩所要量10g以下の意味)
[引用サイト]
http://www.med.hirosaki-u.ac.jp/~sasakin/nao-h/990310salt2.html
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わが国の食塩摂取に関する勧告値として、昭和54年度改正の日本人の栄養所要量として食塩について「当面の努力目標としては、食塩10g以下を適正摂取量とすることが望ましい」とされて以来、昭和59年第三次改定、平成元年第四次改定、平成6年第五次改定のときも、「10g以下」とされており、現在に至っているのだが、この「10g以下」のもつ意味、そのような数値に至ったいきさつについて書き留めておく。 わが国ではじめて食塩についての栄養所要量がきまったのは、昭和21年11月である。内閣に設けられた国民食糧および栄養対策審議会は、無機質およびビタミンに関して基準を定めることになり、日本人一日一人当たり所要摂取量として、15gという数値を妥当であると定めた。その後、何回かの会議があったが、食塩についての栄養所要量としての15gという数値は国民の「常識」として定着したようである。 われわれが脳卒中・高血圧の予防を目標に「疫学的研究」を展開してうかんできた「食塩多量摂取の疾病発生としての意義」を考察することになったとき、この「食塩所要量」についての考察もすることになった。 昭和44年の栄養審議会の答申に至るまでこの数値は変更はなかった。そしてそのつど決定にいたったいきさつについての解説が私の検討の資料になった。しかし、この「所要量」という用語が、「必要量」というのとは違って定義されていることが一般には殆ど知られていないことがわかったし、これを引用している百科事典、論文、保健指導書にわれわれの研究結果からなっとくいかない点がいくつかでてきた。 その結果次ぎのような点が問題ではないかと考え、昭和48年札幌で開催された第43回日本衛生学会に「日本における食塩の栄養所要量についての再検討」(日衛誌,28,205,1973)を発表した。 1)所要量決定に際して、安全率が考慮されているが、食塩の場合、要求量を10gとすれば十分であろうとし、さらに5gを加えて安全としている点に問題はないか。 2)要求量という言葉が用いられ、「日本人の摂取食物は、植物性食品が多く、カリウムの摂取量もはなはだ多いので、食塩要求量も欧米人より多いものと考えなければならない」としていることに問題(間違い)はないか。 3)「日本人の食塩所要量は、要求量のほか、味覚や嗜好による摂取量、すなわち習慣的摂取量をも考慮しなければならない」としていることに問題はないか。 4)「一般に好ましい塩味は1.0-1.2%とされている」とし、これを基準に摂取食物の重量を乗じて、食塩の摂取量とみることに問題はないか。 この点について当時厚生省の栄養審議会の委員であった阿部達夫先生(東邦大学名誉教授)の話(日本医師会雑誌,115(6),58-65,1996.3.15.)がある。 「栄養所要量の問題があります。昔は日本人の食塩の所要量というのがありまして、15gだったのです。そうしたら、高血圧の研究をしておられた弘前大学の衛生学の佐々木直亮教授(現名誉教授)から「先生、食塩の栄養所要量が15gという多い量ではね、所要量というのは、それだけ食べないと健康が保てないという量じゃないですか、そんなのはおかしいですよ」と言われまして、その後改訂されました」と。 阿部達夫先生は昭和16年慶大医学部卒で私の2年上で学生時代から存知上げていた。こんなことが関係しているかもしれないと思うことがある。 私が日本医事新報(2664,126-127,昭50.5.17.)の基礎医学からの記事の中に「食塩についての基準は廃止したというニュ−スを紹介し」「私は関係審議会の委員ではないので詳しいことは承知していないのだが、このニュ−スを読んで嬉しかったのは、長年主張してきた意見が採用されたように読みとれたからである」と書いたその記事を読まれた阿部達夫先生からお手紙を戴いた(昭50.7.2.日付)。 「先日先生の医事新報の論文を拝見し、今回から食塩所要量が削除されたことに言及されておりますのをよみました。これは、実は大分前に先生が医事新報?にてこの問題にふれておられますが、この論文をよんで、私が次回改正のさいは食塩はやめるように献言しました。今回の措置に大きく影響したものと思います。したがって先生のご意見が大きく働いたと考えてよいと思います」と。 昭和50年に食塩についての数値が除かれたことについて、当時委員の一人だった香川芳子先生(女子栄養大学学長)の話(栄養と料理,53(1),99-109,昭62.11.1.)(衛生の旅Part4-20)がある。 「じつは私、食塩の表示をしなかったときの栄養所要量のミネラル委員会のメンバ−だったんです。栄養所要量に15gと書いてあると、みんな15gはとらなければいけないと思いこんでしまう。これは非常に困る。食塩はだいたい今の日本人の食事内容だったら、特に使わなくても命に別状はないというふうにメンバ−の一人の平田清文先生がおっしゃいまして、じゃあ書くのはやめようということでやめたのです。そしたら、今度は専売公社が困ると言い始めたんです。」 昭和54年改定の時、「当面の努力目標としては、食塩一人10g以下を適正摂取量とすることがのぞましい」となったのであるが、委員会でどのような議論の結果そうなったのかは明らかではない。 しかしその決定に先立つ昭和53年9月21日、丁度第8回世界心臓学会が東京で開催されていた会期中、委員の一人の平田清文先生から話があって「日本人の食塩摂取はどうあるべきか」の対談をやったことがあった。「ざっくばらんにご意見をききたい」「オフレコで」ということであったので、私は研究を通じて日頃考えていることをしゃべったのだが、テ−プをとっていた記者が内容を雑誌に掲載したいということになって対談の記事が後日でることになった(臨床栄養,54(5),413-424,昭54)(衛生の旅Part4-15)。 この記事を今読み返してみると、私が極めて厳格な意見をいうのではないかとの平田委員としての気持ちがあったようによみとれる。 この対談の中で、アメリカから電報を受け取ったことにふれているが、その文面は次ぎのようなものであった。 厚生省の審議会の結果としては「10g以下」という表現になり「適正摂取量」という表現が用いられることになった。 「最少必要量というのは1g以下だというデ−タがあります。けれども、今の日本人の食生活からすると、一日1gというふうに書くと現実とあまりかけ離れすぎる。だから、今の日本人が平均でとっているのは10g以上あるわけだから、10g以下という目標を与える意味で、以下という表現にしたんです。10gは必要であるということではなくて、10gより少なくするようにという注意を与えることにしましょうということに」編集部「10gの人は、ともかく10gまで近づけていこうということですね」「多くても10gを越さないようにするという、そういう決め方にしたわけです。だから10gをとらなければならないという意味ではないんですね」 竹森幸一(弘前大学助教授・衛生学)はこの点に関して調査研究を行って報告している。「全国の保健所保健婦、栄養士の減塩指導の現状と問題点.日本公衛誌,38,438-445,平成3.6.15.」であるが、保健衛生の指導的役割を担っている方々ですら、「87.4%は10g以下、6.3%は10gと、5.7%は10g程度」と理解していることが明らかにされている。 一般の方々はどうであろうか。「以下」とは「どこまで以下なのか」。大学病院の食事の処方にもどのよに反映されているのか。当時の報道記事また賛否両論の記事がでている。 この点竹森助教授はさらに「日本人の食塩摂取目標値を一日当たり5g位と改正したらどうか」との意見を地域における減塩指導の経験から述べた(日循協誌,26,175-178,1992.)。 以上のように我が国での食塩摂取についての数値としては昭和54年以降現在まで「10g以下」が「適正摂取量」として示されているが、ちょうど同じころ(1977年昭和52年2月)アメリカの食事改善目標として「食塩の消費を約50%から85%減らし、一日約3gにする」ことを目標にかかげたが、同年12月には「食塩は一日約5gに減少する」としたのだる。 こんなことがあったので昭和54年にわが国で食塩所要量を勧告するときは、委員会としては苦労したのではないかと推察される。 それにしてもわが国で示されている「10g以下」の「適正摂取量」の持つ意味を十分かみしめるべきではないかと思う。(1999.3.11.) 4月20日付け阿部達夫・平田清文両先生からご意見・訂正の書面を戴いた。大事なことなので追加として記録した。 |