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鈴木とは?

[ 277] 鈴木宗男
[引用サイト]
http://www.muneo.gr.jp/html/oyaji.html

いまでも鈴木宗男の脳裏に焼き付いているのは昭和41年3月、「大学にいきたい」と切り出した鈴木宗男に父・協(かのう)さんが、ひと呼吸おいて「いいだろう」と即断してくれたときのことだ。
高校3年生だった鈴木青年は地元の雄別炭坑に就職が決まっていたが、東京に行きたい思いを押さえ切れず、無理を承知で父に頼んだ。協さんは数頭いる中でも一番いい馬を売って資金にあててくれた。裕福ではなかった鈴木家にとって、馬は要とも言うべき存在だった。
ほとんどの大学は入学試験が終わっていたが、拓大の二期試験が残っていた。鈴木青年は三月二八日に夜行列車で上京、その足でながや茖荷谷の試験会場に行き、四月から大学生になった。
鈴木青年が就職するはずだった雄別炭坑は五年後に閉山した。首相官邸の執務室で、鈴木氏は「思い切りのいい父らしく、すぐ東京行きを認めてくれた。父が馬を売ってくれなければ、いま自分はこの部屋で仕事をしていることもなかったでしょう」と振り返る。
協さんは農家の次男坊だったため、新天地を求め、親類を頼り単身北海道にわたった。十勝の本別町で木材会社の奉公人となった。約十年後、働きぶりを認められ、足寄町に畑や山をもらい独立した。
「大誉地(およち)」と呼ばれる土地だった。冬には零下30℃になり、三年に一度は冷害という、農家には厳しい土地だった。そこでも協さんは畑と山仕事に精を出した。
「だれよりもがんばった父で人情味もあった。政治家になっても、人一倍がんばり、面倒見もよくしようと心がけているのはそんな父の背中をみていたからです」と鈴木氏。
鈴木家には友達がよく集まった。ある時、友達がたばこを吸っているところを先生にみつかった。先生が注意したところ、協さんは「先生、隠れて吸われ火事でも起こされたら困るでしょ。私がきちんと見ますから大丈夫です」と答え、先生も二の句が継げなかった。そんな先生たちも、ジンギスカンなどを食べに鈴木家をしばしば訪れた。恩師の一人が「宗男のおやじは人づくりに熱心だった」と今でも語るように強い印象を残した人
政治好きでもあり、各種選挙でよく運動していた昭和四十二年協さんが死去した時にお参りに来てくれたのが、故中川一郎元農水相だった。中川氏は大学入学の保証人になってくれた。鈴木家のかかりつけの獣医が中川氏の先輩で、その縁で世話になった。
昭和四十四年八月末、足寄町にきた中川氏が、母のきよみさんに「秘書にしたい」と頼み、九月三日から鈴木青年の永田町生活が始まった。鈴木氏は「めぐりあわせを感じます。人生はまさに人との出会いなんですね」と感慨深げに語る。
昭和五十八年、無所属で初出馬、落選確実との見方に反し35歳の若さで当選。40代で閣僚と、たたき上げとしては恵まれた道のりだった。六月に父の三十三回忌を足寄町で営んだ。「山あり谷ありの五十一年の道のりだったが、おやじの加護があったと感謝しています」と鈴木氏はおやじへ思いは尽きない。
同郷の友人、歌手の松山千春氏ともいつも話をするという。「子供の頃はお互い恵まれない環境だったが、逆境が今にいきている。おやじ、故郷はありがたいものだな」と。

 

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