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悲しいとは?
[ 149] ビーケーワン:悲しい本
[引用サイト]
http://www.bk1.co.jp/product/2501991
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誰にも、なにも話したくないときもある。誰にも。…私の悲しみだから。ほかの誰のものでもないのだから。愛する息子の死がもたらした悲しみを、徹底して見つめる中から浮かびあがる、命あるものへの慈しみと、深い慰めを描く。 〈ブレイク〉1932年イギリス生まれ。ケンブリッジ大学、チェルシー美術学校で学ぶ。国際アンデルセン賞など多くの賞を受賞。99年イギリス皇室から初代名誉児童文作家の称号を授与された。 どうしようもなく悲しいとき この本をひらいてみてください ユーモアに満ちた子どもの詩で名高いイギリスの詩人マイケル・ローゼンの原作を、イギリスを代表する児童文学作家クェンティン・ブレイクが情感豊かに描き出し、詩人・谷川俊太郎の心にしみる翻訳でおくる、“悲しみ”を深く静かに描いた絵本。 「息子のエディのことを考えるときがいちばん悲しい。エディは死んだ。私は彼を愛していた。とてもとても深 生きていくとき、どうしようもなく大きな悲しみに出会ったとき、人は、どうすれば立ち直ることができるのだろう? これは、「悲しみとは何ものか?」と、その悲しみを、そして悲しむ自分を見つめ描く、「大人のため」の絵本である。 大きな悲しみとは、息子エディの死。それは、 「どこもかしこも悲しい。からだじゅうが悲しい」 というしかないもの。何もできない、あたりちらしたくなる、絶望する…。 しかし、そんな悲 中年の男の滑稽な笑顔から始まる『悲しい本』。谷川俊太郎さんの翻訳だと知って手に取った。 どうにもならない悲しみに出会った時、笑うしかないことを知ったのは人生の半ばを過ぎた頃だった。男の笑いに吸い込まれるように絵本を開くと、そこには、息子を失った父親の悲しみが綴られている。どうにもならない深い悲しみだろう。私が、まだ経験したことがない悲しみだ。 「どこもかしこも悲しい。からだじゅうが、悲しい」 概要:"暗闇のどん底で「あ??ぁ」とため息をついている人でも、最後の1ページをめくった瞬間にーホッと心に火が灯るような気持ちになる本です。⇒(´ー`)σ『悲しい本』..." 概要:" 息子が生まれ親になったばかりの頃、主人とよく確かめ合っていた。「子どもを失うことは最悪の事態。絶対に起きて欲しくない」――その悪夢を、1人の男が体験した。最愛の息子を失ったこと。この事実に直面し、彼は胸の痛みを包み隠さず言葉に表出した。『ISBN:425100941X:..." 概要:"鬱である。気分の問題だ、と言いたいところだが、やや立ち直り気味とはいえクリニックには通っているし、32条(精神保健福祉法第32条、もしくは通院医療費公費負担制度)の適用も受けいたりする。親兄弟、職場にも未だカミングアウトしていない。してどうなるものかと......." 概要:" ユーモアに満ちた子どもの詩で名高いイギリスの詩人マイケル・ローゼンの原作を、イギリスを代表する児童文学作家クェンティン・ブレイクが情感豊かに描き出し、詩人・谷川俊太郎の心にしみる翻訳でおくる。愛する者の死がもたらす悲しみを、徹底して見つめる中から浮かび...." 概要:"幸せそうに振舞っている私も、実はどこもかしこも体中が悲しい。特に息子エディーのことを考える時がいちばん悲しい。エディーは死んだ。誰かになにもかも話したくなるときもある。誰にも何もはなしたくないときもある。悲しみはどこにあるのか?それはいたるところにある。悲..." トップ>児童書・絵本>絵本>全般トップ>児童書・絵本>絵本>対象年齢別>小学生3-4トップ>児童書・絵本>絵本>対象年齢別>小学生5-6トップ>児童書・絵本>絵本>世界の絵本>言語別>英語トップ>児童書・絵本>対象年齢別>小学生3-4トップ>児童書・絵本>対象年齢別>小学生5-6 |
[ 150] 男は読むな!いい女に贈る記事13 バーの客、悲しい客。 - [ウイスキー&バー]All About
[引用サイト]
http://allabout.co.jp/gourmet/whisky/closeup/CU20050226B/
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先日、面白い人に出会った。「あんまり客の多くないバーを教えてもらえませんか」はてさて。客が多くなければ店は立ち行かないではないか。困った。私は冷たく無視する訳にもいかないから、「普段よくいかれる店を挙げてみてくださいませんか」と一応は聞いてみた。その人は四つほど店の名を挙げたが、ひとつだけ私が二度ほど行ったことのあるバーの名があった。なるほどである。たしかにそこは客が少ない。というより少なかった。あんまり客がこないものだからこの1月末で閉店となった。その人はそれを知らなかったようである。それを告げるとひどく残念がった。「どうして閉店しちゃったんだろう。誰も知らなくて、客がいなくてよかったのに」まいった。「だからあ」と言いたいところを我慢して、私は精一杯の優しさを見せて説明してあげた。「あそこのオーナーは、飲食業界の人じゃなかったんです。つまり道楽。知り合いの不動産会社から、地下のフロアが空いてて困ってるから、なんかやってもらえないかと頼まれて、興味本位にはじめたんだそうですよ。よく2年持ちましたよ」こう説明しても彼はただ溜め息をつくだけだった。その店はたしかに静かだった。私は知り合いの編集者に二度とも打ち合わせができるバーとして連れて行かれた。3時間いて、編集者と私だけだった。若いバーテンダーのカクテルの味は教科書通りの可もなく不可もなくといったものだった。ウイスキーはそこそこの品揃えで、私はウイスキーばかりを飲んだのを覚えている。内装だけはとても立派だった。悲しい常連客こういう人もいれば、「どうせ、自分の最も大切な店は紹介しないんでしょう」と言われることがある。これもまいったである。私は芸能人じゃないからこそこそする理由もなければ、それにたかだかバーである。そしてされどバーである。何を隠すことがあろうか。出かけた店でよさそうなら、ガンガン紹介する。ただ考えることはひとつ。インターネットだろうが、雑誌だろうが、媒体として合致しているかどうかは悩む。隠れ家的でいいという人がいても、どこか私の波長と合わなければ紹介しない。それだけのことだ。紹介する時は店主にきちんと内容説明して、日時を決めて取材に行く。原稿を書いたらチェックしてもらう。それだけのこと。教えたくないバーもたしかにあるが、店主がOKなら紹介する。だから時折、恐ろしく悲しい言葉を受けることがある。(次ページへつづく) 洋酒に造詣の深いフリーランスコピーライター。広告の企画制作の傍ら、雑誌にも執筆。著書に『日本のグッドバー』(新潮OH!文庫) |