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実体験とは?
[ 29] 実体験
[引用サイト]
http://www.katch.ne.jp/~ansin/jigyosannroku/jigyo02-10.htm
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所は高祖が身延を離れ池上館におつきになる所でした。身延離山をすすめらるお弟子や旦越、四条金吾さんや波木井実長さんの師を思う気持ち、身延を離れるなら父母の墓に参りたいと望郷の念高まる高祖、再び訪れる事は無いであろうと悲しい予感と感謝の思いにせきあえぎつつ、馬の背に病身を預け旅される高祖の姿、十日間の旅程を経られて池上館に到着をされ、信者の皆さんに迎えられた高祖、どんなに安堵された事か、迎えた信者達も言葉に言い表せない感動や喜びを味わい、少しでも早く休んで頂こうと水を汲み足を濯ぎ、おそらくお手を引かれた事でしょう。柔らかく温かな食べ物も用意された事でしょう。そんな光景を頭に描きつつ、その部分を読み上げたいましたら、急に私は涙に咽び声が出なくなりました。字が読めなくなりました。御信者は多分奇異に思われた事でしょう。私の心や頭の中は簡単な事ではありませんでした。 この高祖伝を読ませて頂いたのは、毎日半年間続きました。毎日が高祖と一緒でした。この本は池上館にお入りになる所で終わっていますが、勿論この後高祖が御遷化になる事は知っていますから、もうここで高祖とはお別れするのだなという事が身に迫り、七百年余の時空を越えて鎌倉時代に、私は入り込んでしまい、池上館の一員となってしまっていました。感情移入でした。本当に込み上げてきました。そこにはどうした訳か私のお師匠や、私を支えて下さったか過去の人達もいました。めちゃくちゃでした。教務生活四十数年間の間にこんな経験はありませんでした。そう言えば得度したての頃教学院在学中、高祖の開目抄を講義頂いた時、これに近い経験をしました。その時以来の事でした。心地よい感涙でした。 開導日扇聖人の御指南に、高祖日蓮大士御法難の事を思うと「感涙押さえがたし」と言う御述懐があります。申し訳のない事ですが、言葉としてはわかる開導日扇聖人のお気持ちですが、いまひとつ深く迫れない気持ちもありました。信心がないと言う事かもしれません。また私の信仰的感性の問題でもあるかもしれません。しかし今回の事で開導日扇聖人の御指南が、ほんの少し分かった様な気持ちが致しました。色々な条件が整って今回の体験をさせて貰えたのでしょう。 例えば年齢などもあるかもしれません。ぼんくらな末輩などには大宗教家開導聖人の宗教家としての資質感性などには及びもつかないのに、不遜であったと反省をしているのです。しかし「感涙」と言うものが有り、涙は溢れるのだと言う事を実体験した事は有りがたく嬉しい事でした。素直になれた様な気持ちがしたのです。 |