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乗り越えるとは?
[ 78] 創価学会:要文集:実践 難を乗り越える
[引用サイト]
http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/member-support/studying/gosho_sentence_02_13.html
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SOKAnet ムービー | 座談会サポート | 教学研さん室 | お調べノート | お役立ちボックス 既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし 哀なるかな今・日本国の万民・日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上・今日は身の上なれば日蓮並びに弟子・檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし、只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値わん時我等何計無慚と思はんずらん、汝等何計うらやましく思はんずらん、一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ 各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひ・めこををもひ所領をかへりみること・なかれ、無量劫より・このかた・をやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりも・をほし、法華経のゆへには・いまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり 此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり 法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ 我等現には此の大難に値うとも後生は仏になりなん、設えば灸治のごとし当時はいたけれども後の薬なればいたくていたからず 法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を 末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや、大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ 虎うそぶけば大風ふく・竜ぎんずれば雲をこる・野兎のうそぶき驢馬のいはうるに・風ふかず雲をこる事なし、愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわかず事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候 |
[ 79] 苦しみを乗り越える力
[引用サイト]
http://www.sendaiefc.com/mission/sharon/03-01.html
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私達の人生には、色々なことがあります。苦しみや、悲しみに出会うこともあるでしょう。しかし、その困難がただ苦しみ・悲しみだけで終わるのではなく、私達の人生に大きな益をもたらすものに変えられるのだと、聖書は約束しています。もし、その困難の中にキリストにある希望を見いだすことができるなら、暗闇の向こうに、なお光と道があるということに、あなたもきっと気付かれることでしょう。 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第IIコリント5:17) 苦しみを乗り越えていくことができる、そして、それがかえって益(良いこと)―私達の豊かな肥やし・人生の味わい―に変わる。もし皆さんが、自分の出会う困難のなかでなお、この希望を持ち、またそのように歩んで行くことができるなら、これこそが本当の人生の勝利といえるのではないでしょうか。今日のコンサートでソプラノを歌って下さった海野さんもまた、ご主人を二度も亡くすという大きな苦しみを通られた中で、キリストの愛によって支えられ、キリストにある希望を見いだしてこられました。苦しみを乗り越えられた今、コンサート活動を通して、ご自分を支えて下さったキリストの愛を、各地で伝えておられます。海野さんが歌って下さったなかに、水野源三さん作詞の歌が何曲かありました。次の詩は、その中の1つ「悲しみよ」です。 水野源三さんは、子供の時患った赤痢の後遺症のため、重度の脳性マヒになり、体を動かすことも口をきくこともできなくなってしまいました。しかし、寝たきりの床の中でイエス・キリストに出会い、このキリストの神に愛されている喜びを、お母さんの指す五十音表に瞬きで合図を送りながら、多くの詩に表しました。このような状況のなかで、喜ぶことができる…人は、キリストにあって本当に変わることができるのです。 あなたも、あなたの人生が今どんな状態であっても、希望を見いだすことができ、そこから喜びをもって歩み出すことができるのです。まだ神様がよく分からない方でも、「もし神様がいるなら、私にも現れて下さい。教えて下さい。」と、祈ってみて下さい。私達が苦しみに出会う時、そこから逃げようとするだけなら、結局何も変わりません。 しかし、それは自分がもっと素晴らしく変えられるための試練の時と受けとめ、そこで神様は私に何を教えて下さろうとしているのかと考えることができるなら、私達が変えられていく大きな一歩となるのです。今までと同じ私でありながら、変わることができる、新しくなることができる。そのような力を持つ神様が本当におられ、あなたを変えようとしていて下さる、あなたを愛して導こうとしていて下さることを、ぜひ今覚えていただきたいのです。 制作 : ©2000 仙台福音自由教会 - 聖書についてもっと詳しく知りたいと思われた方はお気軽に お問い合わせ 下さい |