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あきらめとは?

[ 261] あきらめ力
[引用サイト]
http://www.shinkosha-jp.com/detail/4-86081-079-1.html

みなさん、「あきらめる」ということに、悪いイメージを抱き過ぎているように思う。私は「あきらめる」ことは、そんなに悪いことだろうか、「あきらめる」ことにも、いいことがたくさんあると思っている。
たとえば「ここであきらめてしまったら、何もなくなってしまう。ここまでやってきたことが無駄になる」という人がいる。ほんとうにそうだろうか。
「何もなくなる」というけれども、私の見るところ、「あきらめる」よりも「あきらめない」ことによって、すべてを失ってしまう人のほうが多くいるように思うのだ。
夢をあきらめられないで、三十歳を過ぎても四十歳になっても定職を持つことができず、貯蓄もなく家もなく、結婚もできず家庭を築くこともできず、最後には大切なはずであった夢までも見失ってしまう。
ある人と交際することをあきらめきれず、相手からいくら嫌われてもあきらめられず、しつこく追いかけまわし、ついには犯罪まで犯すことになる。
フリーターやストーカーなど、いわば氷山の一角で、一見ふつうに、幸せそうに生きているように見える人たちの中にも「あきらめられない」ために苦しみ、みずから自分の人生を壊しかけている人は、けっして少なくないのであろう。
数え出したらキリがないのだが、おそらくは「あきらめる」ということに、大きな誤解があるのではないかと思うのだ。ここであきらめてしまっては「何もなくなる」といった思い込み、これが、みずからを出口のない袋小路に迷いこませるのだ。
私が思う「あきらめる」ことのメリットと、「あきらめない」「あきらめきれない」ことのデメリットを、ざっとあげておく。
■「あきらめない」のは、つらいこと。「あきらめられない」のは、もっとつらいこと。「あきらめる」ことは、そんなつらいことから解き放たれること。
人生がなかなかうまく回ってくれないということである。「あきらめる」ことは、クヨクヨしたりイライラしたりすることなく、前向きな気持ちで生きるための知恵のひとつであると思うのである。
「あきらめの悪い人」のひとりに、「自分は負けず嫌いだ」という人がいる。人に「負ける」ということをなかなか受け入れることができない。
これはまあ、私たちにも理解できる心理かもしれない。だれだって人に、とくにふだん自分がライバルとして意識しているような相手に負けるのは、涙が出るほど悔しいものだ。しかし、いさぎよくあきらめて、負けを受け入れなければならないときもあることも事実だ。
以前、進学高校の生徒が、勉強でのライバルを刃物で刺すという事件があった。刺した生徒は、それまで学校でトップの成績だったのだが、ほかの高校から転校してきた生徒がそれ以上に勉強のできる子で、たちまちトップの座を奪い去られてしまう。しかもその転校生は性格的にもよく、クラスの人気者にもなっていた。
十代の子供というのは(これは十代の子供に限らないのかもしれないが)勉強ができるできないということのみならず、「周りの人に、どれだけ人気があるか」ということについても強い競争心を抱くものである。この事件ではないが、クラスの人気争いから一方の子供が一方の子供の悪口をいいふらし、それを恨みに思った傷害事件を起こしたといった話も、それほど珍しいものではない。
よく企業社会で耳にする派閥争いといったものも、大人の世界のこととはいってもそれほどレベルの高いものではなく、背景にあるのは社内でのたんなる人気争い、だれがだれに好かれているとか嫌われているとか、そのくらいのレベルの話であろう。
さて、勉強と人気という二重の意味で「負けた」悔しさは、そうとうのものだったのだろう。ある日刃物を学校に持ち込んで……ということになった。
少し専門的な話になるが、ライバル意識は本質的には、嫉妬であるといっていい。そして、この嫉妬心は劣等感へと結びつきやすい。
ところで私たちが日常的にもよく使う劣等感だが、これにはいわゆる劣等感と、劣等感コンプレックスと呼ばれるものがある。
劣等感とは本来、私たちが生きていく上で役立つものだ。これは「自分は、どういう人間なのか」を知るカギでもあり、「では自分は、社会とどのように関わって生きてゆくか」を考えるヒントともなる。自分は体力がないから、体力勝負となるような仕事ではなく、頭を使ってやる仕事でがんばろう、といったようにだ。
一方の劣等感コンプレックスのほうは「いかに生きるか」を模索するほうには向かわずに、自虐的な方向へと進んでゆき、そしてライバル相手への恨み、妬み、怒りといったものに結びつきやすい。
「あきらめが悪く」しかも「負けず嫌い」という人は往々にして、この後者の、劣等感コンプレックスのほうの過程をたどりやすいのだ。おそらくは学校のライバルを刺したという生徒も、この過程をたどってしまったのに違いないと思う。負けた……悔しい……自分はダメ人間だ……あいつがうちの学校に転校してきたのが悪いんだ……あいつを、こらしめてやるぞ……というような心理的過程である。
ライバルに「負ける」ということも、それを「いかに生きるか」を模索するための、前向きな意味での劣等感に結びつけることができれば問題はない。それが劣等感コンプレックスへ向かってしまうから問題が起こってしまう。
では、いかにして「負けた」ことを劣等感コンプレックスではなく、有意義な劣等感へと結びつけるのか。そこで、「あきらめ力」が役に立ってくる。
先日、八十歳近くなって、いまだ現役のシャンソン歌手として活躍されている人が、インタビューで「その年齢まで、お元気に歌っていられるヒケツは何ですか」と聞かれて、「仕事をセーブしてきたことです」と答えていた。
同年代の歌手には、正直にいってその人よりも人気のある歌手がたくさんいたが、みな早死にであったそうだ。なぜ早死にするのかといえば、働き過ぎ。人気が出てくればコンサートにレコーディング、ラジオやテレビ出演に引っ張りだこになる。寝る暇もないほどの、目のまわるような忙しさ。しかし、そのために命を縮めている。
そんな同僚のライバル歌手たちを傍らから眺めながら、その人は「自分は働き過ぎに注意して、仕事は極力セーブして、その代わりに長生きして、できるだけ長く大好きな歌を歌ってゆく道を選ぼう」と決めた。そしてコンサートは月に何日、ラジオ出演は何日と、むりのない計画を立てて、それ以上はどんなに依頼があっても仕事を入れなかったそうである。
これなどはライバルへの嫉妬心、劣等感を、上手に「あきらめ力」によって「いかに生きるかの模索」へと転化した一例ではないかと思うのだ。
仕事をセーブすれば当然、収入が減る。収入が減れば、生活水準が下がる。こちらの意図をまったく勘違いして、「あの人は、それほど人気がないんだな。だから仕事も少ないんだ。かわいそうに」と勝ち誇った眼差しで見てくる人もいるだろう。
がんばれば自分もライバル歌手のようにぜいたくな家で暮らし、いいものを着て、思う存分のことをして、人からはうらやましがられる生活をするチャンスがあるというのに、それをうっちゃっておいて仕事をセーブするなんて、ふつうであればできないことではないか。何とも、もったいない話のようにも思えてくる。
しかし、自分にとって「幸せとは何か」ということがしっかり頭に入っていれば、たとえ収入面や、世間的にどれだけ脚光を浴びているかということで人に「負けた」のだとしても、それほど気にならない。「わが道をゆく」で超然として生きてゆける。
この人にとっては長生きして、七十、八十、九十になるまで元気で好きな歌を歌い続ける。それが「幸せの意味」であったのだ。
■負けを上手に受け入れるには「あきらめ力」が必要。上手にあきらめることによって「わが道をゆく」生き方ができる。
■ライバルに負けた悔しさをあきらめられずにいると、人への恨み妬みが増幅していって、かえって自分自身の人生に不幸をもたらす結果となる。
私だって、そうだ。文学者になりたいと思っていた頃もあったが、あきらめた。飛行機乗りになりたいという夢も、あきらめた。そのほかにも、いろいろなことをあきらめてきた。しかし「あきらめたこと」を後悔はしていない。
ある人は「生きることに、なんだか自信がなくなってきた」という気持ちになったときは、一冊のノートを取り出す。
英会話教室へ通う。海外旅行で、外国人の友だちを作る。一日に少なくとも一度は、人にほめられる。親孝行をする。弟に携帯電話を買ってやる。早く結婚する……といった具合にである。
そして、その次には「すぐには実現不可能」というものを、どんどん消し去ってゆくのだそうだ。必ず、ひとつかふたつ残るものがある。それを支えにして、元気を取り戻して、また明日からがんばってゆくのだそうだ。
あきらめきれないで何かに執着していると、なかなか手に入らない。けれどもあきらめることによって、多くのものが手に入るのである。
山登りで、危うく遭難しかかったという経験を持つ人の話を聞くと、よく「あの地点であきらめて、引き返せばよかった。そうしておけば、あんな危ない目に合うことはなかった」といった話が出てくるものだ。
山登りだけではない。人生でも同じではないのか。過去をふり返ってみたときに「あの時点で、あきらめておけばよかった」と後悔している人は、たくさんいるのではないかと思うのだ。
なぜ適切な時期に、あきらめることができないのか。次のような心理が、あきらめることをじゃましてしまうのだろう。
■いまここであきらめてしまったら、ここまで積み重ねてきた努力はどうなるのか。せっかく苦労してきたことを、ここで水の泡にするなんて、そんなもったいないことは絶対にできない。
■あきらめるなんて、それは弱い人間がやることだ。自分は強い人間だ。これまでにもさまざまな困難を乗り越えてきた。そんな自分がこのことくらいのことで、あきらめてしまうなんて、とんでもない。プライドが許さない。
■あきらめるなんて簡単なこと。あきらめようと思えば、いつでもあきらめることができるじゃないか。だったら、いま、あきらめなくてもいい。もう少しがんばっていれば状況が一変して、いい結果が出てくるかもしれないじゃないか。
あとになって冷静に考えてみれば、また第三者の立場に立ってみれば「あのとき、あきらめておけばよかったのに」ということであっても、その場においては、ここにあげたような「あきらめられない心理」は、非常に強い説得力を持っている。
私たちはみな、この心理に、説得力に負けてしまうのである。そして、あとになって「あのとき」などと後悔する。
あきらめることは「弱い人間がやること」でもなければ、「いままでの努力が水の泡になる」ことでもない。
本書の目的はまず、そういう「あきらめる」ことの誤解を解くことにあった。そうして、上手に「あきらめる」ことを人生に取り込み、「あのとき」と後悔するような人生を送らないためのものである。
実際の話、何かに執着してあきらめない人ほど、ああでもないこうでもないとグズグズ悩み、その結果が中途半端に終わることのほうが多いものだ。逆に、うまくあきらめる人ほど、目の前のことを手際よく片づけ、次々とものごとを成し遂げて、着々と実績をつくっている。
私の目には、「あきらめない人」よりも「あきらめる人」のほうが、世の中で認められ、周りの人からも頼りにされ、自分の人生も楽しんでいるように見えるのである。

 

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