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おすすめとは?
[ 58] おすすめ歴史小説
[引用サイト]
http://bookreview.ariken.info/
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彼は九州・佐賀藩の人間です。幕末の風雲を観察するため、脱藩という大罪を犯して京にのぼり、若き日の桂小五郎(のちの木戸孝允)や伊藤俊輔(のちの伊藤博文)と会います。 幕末の京都には、全国から優秀な人材が集まっていました。しかし江藤は思います。「この江藤新平に及ぶものはおらぬ」 彼は佐賀藩に戻ることにします。伊藤俊輔は止めます。一度脱藩した身である以上、佐賀に戻れば死が待っています。それでも江藤は帰るといいます。 その秘策によって死罪を免れた江藤は、やがて明治新政府の参議として活躍します。しかし、悲劇的な最後が待っていました。 じつに危なっかしい生き方をしたと書きましたが、これはあくまで僕のような凡人から見た感想で、江藤にとっては当たり前の生き方だったのだと思います。 江藤はとても頭のいい男です。絶体絶命の中にも希望を見つけます。むしろ虎穴に入って大きく飛躍することを望みます。 江藤は傑物でした。情熱の使い方が凡人とは違っていました。彼のやり方は、彼だからこそできたことだと思います。 その一生は、中途半端ということがないクッキリとした人生だったような気がします。でも鋭利な頭脳が、最後は自身を傷つける凶器になりました。 Gacktも謙信もどことなく神秘的で妖しい魅力があるので、けっこうしっくり来るんじゃないかとワクワクしています。 さてこの『武神の階(きざはし)』は、その謙信が主人公の小説です。1990年に「新潟新報」や「北日本新聞」など18紙に連載されました。 城攻めの心得、野戦で勝利する秘訣、いくさの駆け引きなど、とても具体的に細かい点までひとつひとつ伝授していきます。ライバルの武田信玄と戦ったときのことなど、実例も豊富でした。 歴史の文献をつなぎ合わせたような資料重視の作風は好き嫌いがあるかも知れませんが、全体的に史実を大切にする落ち着いた雰囲気のある小説でした。 1995年のNHK大河ドラマ『八代将軍 吉宗』の総集編DVDです。『暴れん坊将軍』でもおなじみの江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が主人公です。 当時は放送を見ながら「こんなプレッシャーの中でよく将軍職なんてやっていられるなぁ」と思いながら見ていたのを覚えています。 物語は5代将軍綱吉の治世からスタートし、まずは吉宗の幼少期が描かれます。彼はそのうちに紀州藩主となり、やがて8代将軍に就任して幕政の改革に着手していきます。 永井路子の庄セル『山霧−毛利元就の妻』を原作とする1997年の大河ドラマ『毛利元就』のDVDです。中村橋之助、上川隆也、富田靖子、松坂慶子、松重豊らが出演しています。 毛利元就は中国地方に君臨した戦国大名です。当時、織田信長は破竹の勢いで版図を拡大していましたが、その信長にも最後まで屈することはありませんでした。信長にとって、最後にして最大の強敵です。 仲間由紀恵、高島礼子、井川遥、木村多江、浅野ゆう子、松下由樹らが主演した映画『大奥』を小説化したものです。大奥史上最大のスキャンダルといわれる絵島・生島事件(江島・生島事件)を題材にしています。 物語の舞台は江戸。徳川7代将軍、家継の治世です。大奥では二人の女性が対立していました。天英院(高島礼子)と月光院(井川遥)です。 天英院(高島礼子)は月光院(井川遥)の勢力を追い落とすために、罠をしかけます。彼女が目をつけたのは、月光院派の実力者で大奥総取締の絵島(仲間由紀恵)でした。絵島(仲間由紀恵)をスキャンダルに巻き込むことで、月光院派の勢いを削ごうというのです。 ここで生島新五郎(西島秀俊)という美男の歌舞伎役者が登場します。天英院(高島礼子)は生島新五郎(西島秀俊)に、絵島(仲間由紀恵)と密通するよう命じます。歌舞伎役者と大奥総取締の密通。これが発覚すれば大スキャンダルです。 法外な報酬を約束された生島新五郎(西島秀俊)は、絵島(仲間由紀恵)に接近します。絵島(仲間由紀恵)は、最初のうちは大奥総取締という立場を意識して生島新五郎(西島秀俊)への想いを押し殺していましたが、しだいに自分の気持ちに素直になっていきます。 一方、生島新五郎(西島秀俊)のほうも、はじめは「仕事」として絵島(仲間由紀恵)に近づいたのですが、いつしか本気になり、自分の命をかけてでも天英院(高島礼子)の陰謀から彼女を守りたいと思うようになっていきます。 「並んで風に吹かれる。並んで座る。同じ空気を吸う。空を渡る雲を見る。話をする。話をしない。(中略)そういうことを、あんた、男としたことがありますか」 絵島(仲間由紀恵)にそんな経験はありません。大奥の女として、彼女はずっと城の囲いの中で生きてきました。 「この船の上にいる間は囲いを取って下さい」と生島新五郎(西島秀俊)は言います。絵島の心が波立つ、印象的なシーンです。 これは仕組まれた恋です。実らない恋です。だからでしょうか、どのシーンの底にも、なんとなく儚さみたいなものが見え隠れしています。 映画のシナリオがベースになっているので、全体的にさっぱりとした読み心地です。文章よりも、シーンごとの人物の動きなどで気持ちが表現されていることが多いです。映画のように映像を思い浮かべながら読むのがオススメです。 映画『ゴッド・ファーザー』はフランシス・コッポラ監督のマフィアの映画です。原作はアメリカの作家マリオ・プーゾ。この作品でアル・パチーノやロバート・デ・ニーロは一躍有名になりました。 『パート2』では、若き日のゴッド・ファーザーがありふれた一市民から頭角をあらわし闇社会のボスにのし上がっていく姿が描かれています。彼がどんな道順でゴッド・ファーザーになっていったのか、そこが面白いんです。 いきなりですがナポレオンもそうです。僕はナポレオンが好きです。彼はフランス革命の混乱から世に出て、各地で連戦連勝し、ヨーロッパのほぼ全土を支配しました。 ひとりの人間があんなにも大きく歴史に対して影響を与えられるんだ、という衝撃。僕がナポレオンを好きな理由はこれなんですが、じつはナポレオンの最盛期よりも、世に出るか出ないかという若い頃に興味があります。いったいどんなふうに世に出てきたのか、と。 人類史にあれだけ大きな影響を与えた人物の、最初の一歩はどんなふうに踏み出されたのか、そこに興味があります。 徳川家康を主人公にした小説ですが、『覇王の家』というタイトルが表すとおり、家康個人はもちろん、徳川家そのものの歴史を書いています。 徳川家の祖先も、最初は無力な存在でした。徳川家はもともと松平と名乗っていたわけですが、その祖先は三河の山奥のキコリでした。 ここに親氏(ちかうじ)という人物があらわれて、キコリ集団を戦闘員に組織し、少しずつ領土を広げていきます。 この家系がやがて日本全土を支配する家になろうとは、このときはまだ誰も知らなかったわけですから、歴史ってホント面白い!と思ってしまいます。 「暮れるといって急いだり、雨だといって走るのは、どうやらおれの気性にはあわないようだ。暗くなればなったで、紙燭のあかりでほろほろと酒をのむ風趣が、またよい」 酒を飲みます。女も抱きます。それでいて剣の腕はたち、天下をみる眼も持っています。しかし戦国大名としての貪婪な欲望は、持ち合わせていませんでした。 「人の世というものは、生きてみねばわからぬものだ。とやかく考えているよりも、やってみるほうが早い。私のような男が、大名として成功するか、失敗するか、息を引きとるときに答えが出る」 盛親は戦国大名としての欲望に欠けていましたが、能力は持っていました。秀吉の死で天下が二分する中、彼は「次の天下は徳川」とハッキリ見通していました。しかし歴史が面白いのは、そんな盛親が結局西軍につき、家康と敵対してしまうところです。 盛親は思います。あのとき関ヶ原で自分がもっと積極的に行動していたら、合戦の勝敗は変わっていたかもしれない、と。 盛親にもチャンスはありました。決断して、行動していれば、関ヶ原で家康を破ることができたかも知れないのです。しかし彼は行動に踏み切れませんでした。決断ができなかったのです。五十年の人生に、人は、たった一瞬だけ、身を裂くほどの思いをもって決断すべき日がある。盛親はその一瞬を見送ってしまったのです。彼は決断ができなかった自分を悔やみます。でもここで終わらないのが、盛親のすごいところです。 誰もが人生について、心のすみでほんの少しでも「こんなはずじゃなかった」と思うことがあるとすれば、その心の隙間にピッタリと当てはまるピースというのは、ひとつではなくて、いろいろな形があると思います。 そのピースのひとつが、この小説のどこかに転がっているのなら、それを探して拾い出して、手垢でベトベトになるまで撫で回してみるのもいいと思うんです。 自分の一生をどう使うのか。その決断はむずかしいと思います。好きな道と向いてる道が同じとは限りませんし、やりたいこととできることが一致するとも限りません。情報が多いほど選択肢も広がりますが、そのぶん迷いも多くなります。 義経の場合、人生の目的をこれと定めるきっかけは、ひとりの男との出会いでした。義経はその男にそそのかされたといってもいいかも知れません。 男の名は鎌田正近。もともとは源氏武者でしたが、平治の乱で源氏が壊滅したあと、生きるために僧侶になった男です。彼は人を利用する才覚に恵まれていました。 僧侶になってからのことです。彼は自分の人気を高めるためにある計画を立てました。知人の女性を毘沙門天の化身に仕立て上げ、自分の説法に出席させ、民衆の支持を得ようとしたのです。この目論見は成功しました。民衆は彼の説法をありがたがるようになり、人気はどんどん高まりました。 そんな彼が、ある事件によって平氏から追われる身となりました。平氏は絶対権力者です。平氏に追われるということは、世の中に身の置き場がないということです。 平家を倒すしかない、と彼は考えます。そのためには源氏の棟梁の忘れ形見である義経を利用するしかありませんでした。かつて知人の女性を毘沙門天の化身として利用したように、今度は義経を利用するのです。 義経は鎌田正近によって焚きつけられ「父の仇を討つ、平氏を倒す」ということを生涯の目的とするようになりました。そそのかされた、というのはそういうことです。 でも重要なのはこのあとです。そそのかされたにしても何にしても、たとえどんなことが人生の決断のきっかけになったとしても、それはそれでいいのかも知れないと思うんです。 きっかけは何であれ、義経は自分の両足で人生を突っ走っていくわけですから、それはもう紛れもなく、誰のものでもない義経の人生なんです。 どんな経緯があったにしても、自分がこれと決めた道をひたむきに突き進む。それでいい。そういう純粋さ、シンプルな生き方が、この小説の中にはあります。 秀吉の頭から脳みそを取り出して、ほかの人の脳みそと並べてみても、見た目はまったく同じだと思うんです。見た目だけではなく、脳の中身というか構造というか仕組みも、やはり変わらないと思うんです。同じ人間ですから。 ただ秀吉の脳みそは、日本の歴史で特別な役割を果たしました。たったひとつの脳みそが、あれほど大きな影響を周囲に及ぼしたのかと思うと、不思議でたまりません。面白くてたまりません。 人間の脳みそなんていうものは、体積も重さも知れています。富士山と比べてみても、いや比べるまでもなく、すごく小さい。でもそのすごく小さいたったひとつの脳みそが、天下のありようをガラリと変えてしまうほどのパワーを持っています。 秀吉の小さな脳みそは、大きな存在感を持って歴史に登場しました。泰然とそびえる富士山よりも、ずっと大きな存在感です。 司馬遼太郎の『新史太閤記』では、秀吉の脳の使い方にハッとさせられます。ただ知恵を出すとか機転がきくとか、そういうことではありません。 貧しい頃の秀吉が、ある縁で豪華な料理をごちそうになるシーンがあります。秀吉は、おれもこんな贅沢がしてみたい、とは思いませんでした。 そう思うよりもまず先に、どうしてこれほどの贅沢ができるのか、なぜ金が儲かるのか、その理由に興味を持ちます。金が儲かる方法を執拗なまでに知りたいと思い、問いただし、知識を吸収して自分のものにしていきます。一足飛びに夢を見るのではなく、段階的に、現実的に一歩一歩手順を踏んでいくんです。 武家奉公についても秀吉の独特の感覚が光っています。彼は主に雇われていながらも、けっして雇われているとは考えませんでした。主君の仕事を請け負っていると考えました。 一人の独立した事業主として主君の仕事を請け負い、こなしました。そうすることでもっともっと主君に儲けさせようと考えました。給料という形で自分に投資してもらった分を、何倍にもして返そうとしたのです。当時の武士にはない発想です。 秀吉は独自の切り口で世の中を解釈していきます。そのあざやかさ、新鮮さを、『新史太閤記』では徹底的に楽しめます。 トルストイの小説『戦争と平和』はとても長い作品で、登場人物もエピソードも多くスケールも壮大なので、これを映像化するのは大変だろうなと思ってしまうのですが、それでもちゃんとDVD化されています。 「ソ連映画界が総力を結集」して制作した作品で、431分の超大作に仕上がっています。セルゲイ・ボンダルチュク、リュドミラ・サベリーエワらが出演しています。モスクワ映画祭グランプリ、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などを受賞した名作です。製作費、出演者、製作日数ともにギネスブックに認定されたそうです。 こちらはオードリー・ヘプバーン、ヘンリー・フォンダが出演しています。監督はキング・ビダー。DVDの長さは208分と、『戦争と平和』にしてはややコンパクトでお手頃です。 |