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一切とは?
[ 286] X51.ORG : 痛みを一切感じない少女
[引用サイト]
http://x51.org/x/04/03/0224.php
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【KARE11】今年3歳のギャビー・ジングラスちゃんの疾病は、非常に稀な、そして奇妙なものである。これまで医師や両親は必死になって情報を探し続けてきたが、現在でも治療方法の糸口すらつかめていない。「この前も階段を歩いている時に転んで、階段から落ちたんだ。でも、いつもの通りだよ。ギャビーは普通に立ち上がって、何もなかったような顔ですぐに階段をのぼり始めた。涙ひとつ見せずにね。」父親のスティーブは語る。ギャビーちゃんは転ぼうとも、滑ろうとも、あるいはいくら激しく地面に打ちつけられようとも、絶対に泣く事などないのだ。即ちギャビーの疾病は、「痛みを一切感じない」という非常に奇妙なものなのである。ギャビーが患うこの疾病は現在のところHSAN type 5(第5種遺伝性感覚自律神経性ニューロパチー)と呼ばれ、先天的な遺伝子の障害をその原因としている謎の多い疾病である。また患者数は全世界でも凡そ12人、医師の知る限りこの疾病を患っている米国内の患者はギャビーただ一人という非常に稀な疾病なのである。 「全米でただ1人、全世界でも、たったの12人だけです。ですから、まだもちろん支援団体もありませんし、インターネットを調べたところで大した情報もありません。こうした疾病に苦しむ子を持った親にも会った事がありませんし、一体どうしたらいいのか本当に分からないんです。」ギャビーの母親トリシュは語った。 ギャビーが生まれたのは3年前である。「なんてかわいい子が生まれたのかしら。」母親のトリシュさんは当時を回想する。しかし、成長するにつれ、尋常でない力加減で自分の顔を激しくかきむしるなど、ギャビーの奇妙な行動が目立つようになっていったのである。そしてギャビーに歯が生えた時、それは明らかな異常行動となって両親を驚かせた。「ギャビーは自分の手を、普通ではあり得ないくらいの強さで、とにかく何度も何度も噛んだんです。生肉が見えるくらいね。」トリシュは語る。 その後、心配した両親はギャビーを病院に連れて行った。そして、そこで初めてギャビーのそうした異常行動が、神経性の障害によるものだという事が明らかになったのである。 「人間の中には痛みを記録し、その信号を脳へと送信する非常に細かい神経繊維があります。通常、それで人は、例えば何かにぶつかった時、"痛い"と認識する事が出来るわけですね。しかし、ギャビーはその神経繊維が全く機能していないわけです。」ジレット特別小児病院のスティーブン・スミス医師は語る。 普段、我々は痛みをネガティブなものとして捉えるのが常である。しかし、痛みが無いという事は即ち、危険に気がつかないという大変危険な事であるという事をギャビーのケースは教えるのである。 例えば、ギャビーには既に歯が一本もない。「もう、どこも噛まないように、全ての歯を抜いてしまったんです。」父親は語る。またギャビーはかつて、おもちゃを強く噛みすぎて歯を折ったり、唇や舌を強く噛みすぎる余り、病院に運ばれた事すらあるのだ。 また当然、ギャビーは目を守ろうとすることもしない。ギャビーはかつて自分の目を強くこすりすぎた為に、医師は止むなくギャビーの瞼の上下を縫い付け、目を開けられないようにしたのだ。しかし、医師がそうした決断を下した時には既にギャビーの目は激しく損傷を受け、手遅れになっていた。 そして先週、両親は、ギャビーが自分で傷つけてしまった左目(既に緑内障にかかり、膨張してしまっているという)を取り除くか否かを巡る相談を行うため、フェアビュー大学医療センターへと向かった。 「この子の目がまだ正常だった頃の写真を見るたびに、後悔して止みません。私たちがギャビーの症状に気づいて、ゴーグルをつける事にしたのはそれから後の事です。」と母親が語る通り、現在ギャビーは残された右目を守るため、24時間ゴーグルをつけて生活している。それはギャビーが大好きなお人形達とギャビーが遊べるようにと父親が考えついた苦肉の策だったのだ。 「ギャビーはゴーグルを付けることを本当にうっとうしがります。でも、もうそれはギャビーの一部なんです、、。」母親は語る。現在、ギャビーはどこへ行くにも必ずそのゴーグルをつけて生活している。また更に、幼稚園に行く時は必ずギャビーの行動を見守る助手を同伴させたりと、厳重な注意の下で暮らさざるを得ない状況が続くのである。 しかしそれでも、ギャビーはこれまでにいくつもの怪我を負っているのである。昨年は何らかの原因で下顎を骨折したこともあった。しかしその骨折もギャビーが何ら意思表示が無いために、一ヶ月に渡って放置されていたのだ。また秋には、ギャビーは突然ベッドから這い出し、高熱の蒸気加湿器の前に立ち尽くしていたこともあった。そしてその時は第二度熱傷(局所的に水疱を生ずる紅斑性火傷)を負った。そして、そのような大やけどにもギャビーは全く苦痛を感じなかったのだ。 しかし、ギャビーにはそうした障害をものともしない素晴らしい才能がある。それはユーモアである。彼女のそのユーモアと立派な態度は彼女に会う者全てを魅了すると母親は話す。 現在、まだ非常に情報の少ないこの稀な疾病に苦しむギャビーを救う事は困難な事かもしれない。しかし、両親は決して諦めてはいないのである。「痛みを感じなくとも、幸せだけは感じて欲しい」母親は語った。 痛みを一切感じない少女 / X51.ORG(俺archives経由) この少女のことではなく、同じ事例の別の人物のドキュメンタリーを以前テレビで見た。痛みなんてなければいいのに、と常々思うけれの.. 痛みを感じない体が欲しい。 ・・・財布の痛みとか。 ってことでこんなの 痛みを一切感じない少女(x51.org) (ちょいりす) 今年3歳のギャビー・ジングラスちゃんの疾病は、非常に稀な?. 痛みを一切感じない少女今年3歳のギャビー・ジングラスちゃんの疾病は、非常に稀な、そして奇妙なものである。これまで医師や両親は必死になって情報を探し続けてき... 最近だと乙一氏の「ZOO」という本にこの病気からヒントを得たのではないかと思われる短編小説があります。 それは男の子だったけどストーブに寄りかかってて父親が築いたときには肉までこげていたんですよね、確か。 私も見ました。その子は痛みを感じないから自分がスーパーマンだと信じて家の2階のベランダから飛び降りたりとかしてもう足だけでも10回は骨折しちゃっててうまく歩けない子でした。 もう少し大きくなって,自分が傷ついたら親や周りのみんなが悲しむっていうことに気付くようになると,『まるみえ』でも紹介されてた子達のように怪我に自分で気を付けるようになるだろうね。 既に最初のコメントで言及されているけど、この病気の人間は簡単に死んでしまうでしょうね。症例が少ないというのは発生数が少ないだけじゃなくて発見される前に死ぬことが多いからかも。 それがさぁ、実際痛みを知らないと心の痛みもわからないんじゃないか?なんでもそうだけどさ、体験しないと実のところはわからない。話だけ聞いたり読んだりしただけでは。バーチャルじゃなくてエクスペリエンス。 この子は自ら望んでそうなったわけじゃないだろうが、悪いが、痛みはわからないから、他人を傷つけることも多分あるな。 家族のものです。周りの対応や小さい頃からの接し方によっては感覚的に理解できなくても、こういう状態になったら危険であることを伝えれば判断ができます。皆さんはやはり身近にそういった人がいないからいろいろなことが想像できるのだと思います。無痛無汗症は、痛さを感じないことも大変だけれど、汗をかけないので体温調節もできません。これも、やはり大変なことです。ケアをするほうも、体の変化には常に敏感にもなります。ただ、良く考えてほしいのは、自分に知識が無いのに想像で物事をこういった公の場所に出してほしくないということです。自分が痛みを感じないから他の人にもするのでしょうか。この文章を読んできっと悲しむ人が出てくると思います。どうか誤解を与えるような表現だけはしないで下さい。本人に話を聞いてみると、身体を冷やしているときや入浴時などに気持ちがいいといっているので、たぶん痛みに対しての感覚鈍いのだと思います。まぁ、うちの場合は比較的軽度なのでそういってるのかもしれませんが。心の痛みに関してですが、誰だって悲しい感情は持ち合わせています。たとえ重度の知的障害を持っていたとしてもそれは絶対にかわりません。ここに書いている人たちがどのように考えて書き込みしているのかはわかりませんが、もうすこしじっくり勉強してみてください。 [PR]日本女性の外性器―統計学的形態論 | 桜満開!ビデオチャット[PR]また同じ女が空いてる | 結局エロビデオでフィニッシュ [PR]無射精、無勃起、無挿入があなたのセックスを進化させる超常現象視察番組「X51.FILES」毎週水曜更新中 [PR]不良グループにからかわれて有害排気物質のドラム缶の中に転落する>>ALL ARCHIVES あられもない姿で、男性の身体を壁に押し付けるようにして身体をまさぐり、興奮している舞妓の姿を目撃した.... 矢追純一、柳家さん喬、祖笛翠、雨宮慶太、花輪和一、丸尾末広、とり・みき(敬称略)という非常に豪華な執筆陣による素敵な内容に仕上がっているようです。定価1300円/ISBN9784872577709 男性は90年から首に違和感を感じ、何かが生じている事に気づいていたが、面倒なため放置していたという。しかし二年程....>>READ ALL サイドショーに出演する際、オルロフは”石人間”として喧伝されたが、実際のところ、彼の症状は骨の異常であったと....>>READ ALL PROMOTIONS?女性の考えた女性用バイブカップ式構造で、挿入口のスポンジにローションコンニャクやカップ麺を使うのなんて時代じゃない巾着に収まる超かわいいぬいぐるみの子ネコうさぎにイカされるなんてうまいに違いない(75%)ほとんどの人が、枕を股に挟むと気持いいと感じていると思います。 |
[ 287] ITmedia +D モバイル:付帯条件は一切ありません──ソフトバンク、月額基本料980円の「ホワイトプラン」を発表
[引用サイト]
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0701/05/news050.html
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過去記事一覧業界動向ドコモau(KDDI)ソフトバンク新規参入ウィルコムデータBOX旧ビジネスモバイルPDA連載コンテンツメガゲーム ソフトバンクが新料金プラン「ホワイトプラン」を発表。ホワイトプランは月額基本料980円の料金メニューで、新スーパーボーナス加入必須などの付帯条件はないという。 ホワイトプランは月額基本料980円の料金プラン。ソフトバンク同士であれば1時〜21時までは通話料無料で、これ以外の時間帯や他キャリアへの通話はすべて21円/30秒となっている。国際通話/通信の利用は、通常の国際サービス料が適用される。 今回の料金プランには、新スーパーボーナス加入必須などの付帯条件がついておらず、2G/3G端末のユーザーどちらも加入可能だ。契約期間に応じた割引などもないかわりに、解約時の解除料なども発生しない。パケット通信は、S!ベーシックパックに加入すれば他の料金プランと同様に利用できるなど、追加できるオプションなどにも特に制限はない。 ホワイトプランの受け付けは、前述の通り1月16日からとなるが、現在ソフトバンクモバイルを利用中のユーザー向けには、1月11日から自動音声応答サービス(*5535)とMy SoftBankでの先行受け付けを行う。既存ユーザーは、ペナルティーなしで料金プランをホワイトプランに変更できる。 なお経年割引などがある「ゴールドプラン」は、1月16日以降も予想外割なしで継続する。ゴールドプラン、ブループラン、オレンジプランについては、番号ポータビリティで他キャリアから転入する場合に、他キャリアでの契約年数を引き継げるサービスは16日以降も続けるという。 ソフトバンクがドコモとauの料金プランをベースにした新料金プラン「ブループラン」「オレンジプラン」を発表。auやドコモで利用中の料金から210円割り引いた料金で利用できるようになる。 10月23日の新料金発表会でソフトバンクモバイルの孫正義社長が明かした「6つの予想外」の最後の1つは“全機種0円”だった。 ソフトバンクモバイルは10月23日、新料金プラン「ゴールドプラン」を発表した。さらに2007年1月15日までの期間限定で「予想外割」を提供する。予想外割りを利用すれば加入当初から基本料金が70%引きの2880円になる。 公取委は、ソフトバンクモバイルの「通話・メール0円」などという広告表示が景表法違反のおそれがあると警告した。NTTドコモとKDDI「au」の広告に対しても、同法違反のおそれがあるとして注意した。 「13・54」──“業界最大”という新ラインアップと「世界一使いやすい」という新サービスの発表会に臨んだ孫社長。スタートまで1カ月を切ったMNPを前に「リングに上がる前のボクサーの心境だ」と話す。 ソフトバンクモバイルは、ドコモがパケット定額の新プランを導入したことを受けて、ブループランに「パケット定額フル」と「パケット定額Biz」を追加する。3月1日から。 NTTドコモは新たなパケット定額サービスとして、iモードに加え、携帯からPC向けサイトのフルブラウザ閲覧が可能になる「パケ・ホーダイフル」と、「M1000」「hTc Z」でiモード以外のパケット通信が利用できる「Biz・ホーダイ」を発表した。 総務省が「モバイルビジネス研究会」を立ち上げ、携帯電話のビジネスモデルについて再検討する動きが出ていることを受けて、KDDIの小野寺社長が意見を述べた。 「ユーザーがもっとも電話したいのは21時から2時」──制限のないコミュニケーションを実現するウィルコム ウィルコムが1月22日に発表した新端末ラインアップと料金プランの内容変更は、ユーザーが制限のないコミュニケーションを楽しめるよう配慮して生まれたという。PHSという独自の強みを持つウィルコムの戦略とは。 ソフトバンクモバイルは、1月5日に発表した「ホワイトプラン」に、追加で980円払うと通話料が半額の1分21円になるオプションを用意する。3月1日からサービスを始める。 ソフトバンクモバイルは、新しい料金プランや割引サービスを導入したことに伴って、旧ボーダフォン時代の料金プランや割引サービスへの新規加入や変更の受け付けを終了する。 ソフトバンクが新料金プラン「ホワイトプラン」を発表。ホワイトプランは月額基本料980円の料金メニューで、新スーパーボーナス加入必須などの付帯条件はないという。 ITU TELECOM WORLD 2006が開催された香港では、日本よりも早くHSDPAサービスが開始され、3社がサービスを提供している。香港のHSDPA事情を探った。 通話料0円、メール0円、端末0円、月額は2880円……ソフトバンクが発表した新料金プラン「予想外割」。しかし本当に2880円で使えるのだろうか? 契約必須の「新スーパーボーナス」など、気になるポイントをまとめた。 通信事業者のトップが年頭所感を発表した。番号ポータビリティでもっとも多くのユーザーが動くとされる春商戦を初めて迎える2007年。各社の代表はそれぞれの戦い方で必勝を期す。 ウィルコムは10月20日から、「ウィルコム定額プラン」の無料通話先をウィルコム以外のPHS事業者を含むすべての070番号へ拡大する。12月1日からは固定電話や携帯への通話も安価になるオプションも導入予定だ。 |
[ 288] この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ
[引用サイト]
http://d.hatena.ne.jp/Tomio/
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森見登美彦氏が書いているものは腐れ大学生のお話でもなく、かといって可愛い女の子が活躍するようなお話でもない。 「ムダ毛」を毛嫌いする現代社会において、主要登場人物の八割が全身毛だらけのメロドラマなど、いったい誰が喜ぶのであろうか。女子高生たちにきゃあきゃあ言われる野望を敢えて放棄する登美彦氏のムダ毛に充ちた男気を知れ。 角川書店の小囃子氏や華猫さん、祥伝社の綿撫さん、物好きな書店員の方々の尽力によってわりあい日当たりのいいところへ引き出された登美彦氏も、これでふたたび元いた場所へ退却するかもしれない。 本屋大賞授賞式の会場にて、とくに理由もなく万城目学氏を懲らしめるため、登美彦氏はやわらかめの鉄拳をふるった。 あんまり机上で妄想ばかりしているのも身体に悪いと主治医から言われたので、登美彦氏は本屋大賞の授賞式へ出かけることにした。 東京駅から編集者の小囃子氏と一緒に歩いていくと、明治記念館というたいそう立派な建物がたっていた。 授賞式の会場は大勢の人でごった返している。テレビカメラなどもならんでいて、たいへんな大騒ぎである。登美彦氏はその間をすり抜けて、「本屋大賞ノミネートの人々」が集まる席へ向かった。 登美彦氏にとって、初対面早々人間を殴ったのは生まれて初めてのことだったが、一つ目の目的は果たされたのである。 大森望氏がふわっと現れた。登美彦氏はなんだか舞い上がっていたので、『新釈走れメロス』の書評を書いてもらったお礼の言葉を述べるのを忘れるという失策をおかした。「ありがとうございました」と登美彦氏は今になって述べているが、明らかに手遅れである。この馬鹿野郎。 登美彦氏は自著を紹介してくれた松田哲夫氏にもお礼を言いに行った。その際、松田哲夫氏から「万城目学氏の『大事な人』が登美彦氏の作品をあんまり好いていない」というかぎりなく微妙な情報を入手することに成功した。 登美彦氏は本屋大賞をもらわなかったので、大賞に輝いた佐藤多佳子氏に「おめでとうございます」と心の中でお祝いの言葉を述べ、登場したリリー・フランキー氏に「『女子の生きざま』、大好きです」と心の中で述べた。しかし声をかけるのは気が引けたので、かたくなに沈黙を守った。 知っている人もいたし、知らない人もいた。知っている人なのに知らない人だと思い違いしたり、知らない人なのに知っているような気がしたりする人もいた。ようするに登美彦氏はもうわけがわからなくなっていたのである。登美彦氏は名刺を受け取っては、「ありがとうございます」と言い、お辞儀をした。その合間に編集者の人から思わず逃げてしまったりした。だんだん壁が背中へ迫ってきて、あわや押し花にされる!というあたりで、だんだんまわりの人々は登美彦氏に興味を失い、人垣がまばらになり、穏やかな感じになった。そして穏やかな感じになったときにはすでに一切は手遅れであった。会場に用意された食べ物はあとかたもなく消えていた。 万城目氏は登美彦氏の本を三冊、テーブルの上へならべた。登美彦氏は、万城目氏と、万城目氏の御母堂と、万城目氏の「大事な人」のためにサインをした。 編集者の人々が、「おお、これはレアだ」と口々に言ってその状況を写真を撮ったが、レアなだけで価値があるとは言い難い。それならば登美彦氏の鼻毛を植えたメモ帳でさえ価値があるはずだ(レアだから)。 登美彦氏は万城目氏の「大事な人」が登美彦氏の作品を好いていない、という事実を指摘したが、万城目氏は「なんのことか」とはぐらかした。「そんなことはない」 登美彦氏は万城目氏にとって縁起でもないことを心中で呟き、氏のほっぺたの感触を反芻した。思いのほか、柔らかかった。 そういう風な感じで、思いがけず心に傷を負った登美彦氏は、そのあと小さなお祝いの席に出た。集まってくれた人々が登美彦氏にお祝いの言葉を述べたので登美彦氏はありがたく思った。 散会後、八重洲のホテルへ辿り着いた登美彦氏は、深夜二時まで麦酒を飲みながら、小囃子氏といろいろな悪だくみをした。そうして二人でフッフッフと怪しく笑った。笑ってみただけで他意はなかった。 小囃子氏が麦酒を飲み干して去った後、登美彦氏はお祝いの席で贈られた「まなみ帖」というものを広げた。それは書店員の方々の寄せ書きやポップが貼り込まれた和綴じの帳面である。 麦酒の泡がクリームのように柔らかく、そしてペペロンチーノに混じった鮹もまた不思議な歯ごたえの柔らかさであったので、登美彦氏はひどく上機嫌になった。 筆者の入手した情報によれば、森見登美彦氏は四月五日の本屋大賞授賞式へこっそり忍び込む予定であるという。 阪急電車で四条へ戻ると、紅葉目当ての観光客が雨で行き場を失って街へ流れこんだらしく、たいへんな混雑である。 彼らは喫茶店を探してうろつきながら寿司詰め状態の錦を抜けていったが、ようやく一軒の喫茶店を見つけたので、そこで打ち合わせをすることにした。なんだかよくわからない、町屋を改築したような店である。彼らは店員に狭い階段をどんどん上らされたあげく、黒々と横切る大きな梁が客人の脳天をおびやかす秘密の屋根裏へ押しこめられた。小さなテーブルをかこんであぐらをかき、三人の男は狭苦しさと蒸し暑さにふうふう言いながら睨み合った。そして階下から大音量で流れてくるアニメ「魔女の宅急便」の音楽に耳を澄ませた。 「悪いことばかりではない。屋根裏に匿われている維新の志士ごっこができます」と登美彦氏が言った。「土佐の森見登美彦じゃ!新撰組がマジで恐いぜよ!」 せっかくのお休みであったが、森見登美彦氏は働き者なので、朝八時の新幹線でまたぶらっと東京へ出かけた。朝早い新幹線は空いていて快適である。登美彦氏はぐうぐう寝た。 つい数日前とまったく同じ手順を踏んで、登美彦氏は綿撫さんに連れられて祥伝社へ連れてこられた。 最後に佐々木敦氏のインタビューを受けた登美彦氏は、いくつも魂を抜かれてへろへろになっていた上に、佐々木敦氏の柔らかくも鋭い質問があまりにも的確だったので、ついウッカリと偉そうに真面目なことを喋ってしまった。「かえすがえすも無念である」と登美彦氏は述べている。 登美彦氏は「デキる男になりたい」とつねづね考えており、工夫を凝らしているが、いまだに新幹線の中で集中して仕事や読書に耽ることができたためしがない。昼日中であれば車窓の風景を眺めるのが楽しすぎてお話にならないし、夜であれば眠ってしまう。新幹線で小さいパソコンなどをパコパコしている人を見ると、登美彦氏はむやみに感服してしまうという。 華麗なサインを書きすぎて疲れた腕を念入りに休めるために寝過ごした登美彦氏は、文豪の愛した朝ご飯を食べるのを忘れ、ついに文豪らしさをまったく演じることなくチェックアウトすることになった。 ふがふがとあくびをしながら登美彦氏がロビーへ降りていくと、花嫁花婿とその関係者が嬉しげな顔をしてロビーを埋め尽くして通せんぼうをしたので、まったく難儀であったという。登美彦氏が憮然とした顔をしてくぐりぬけていくと、人々は口々に「おめでとうおめでとう」と言い、登美彦氏に握手を求めたあと、間違いに気づいて「うわっ」と言った。 登美彦氏と編集者の綿撫さんはレストランでゴージャスな朝ご飯をもりもり食べ、乗っていた車が前転して綿撫さんが血みどろになった話などをしてから、タクシーに乗った。 応接間に通された登美彦氏は背広を着た立派な方々と対面して恐縮した。そしてちょこちょことと頼まれてサインをした。立派な方々にかこまれていたので、サインを求めてきた綺麗な女性とちゃんと喋れなかったのが遺憾であったと登美彦氏は関係者に述べている。やがて登美彦氏は応接室から出て、便所から脱出をはかったが便所に窓がなかった。「綿撫さんの陰謀だな!」と、登美彦氏はいささか立腹した。しかし大人なので、平然とした顔をして応接室へ戻った。 サイン会の始まる直前のあの緊張が登美彦氏はとても苦手である。小学校時代、プールに入る前の緊張を思い出すという。 登美彦氏が書店の一角へカチカチになって出ていくとすぐにサイン会が始まり、もうあとはめくるめく時間であった。登美彦氏の華麗かつ平凡なサインを求める人が百八十人近くもならんでいたという噂である。 「まことにありがたいことです。そしてまことにたいへんなことです。皆様の愛が、愛が、重すぎる。It's too heavy for meデスヨ」と登美彦氏は語っている。「そして自分はなんでこんなに画数の多い名前なのか!トミヒコの画数が、画数が、多すぎる。乙一氏はなんと計画性のある人だろうか!」 「私のふつうのサインを喜んでもらえ、さらに私のふつうの握手を喜んでもらえるのはまことに不思議千万」 若い男性も、若い女性も、おじさんも、おばさんも、「登美彦氏の嫁になり隊」の人も、あのクリスマスイブのサイン会に登美彦氏に電動仕掛けで闇雲に歩き回るパンダをくれた人も、京都SFフェスティバルで猫ラーメンについて質問した人も、『花宵道中』の宮木あや子氏も、各社の編集者の人も、手製のもちぐまを作ってくれた人も、本上まなみさんも来た。 本上まなみさんが顔を出すと、登美彦氏はにわかに挙動不審となり、サインどころではなくなった。本上さんから差し入れのいちごをもらうと、もっと挙動不審となった。本上さんは(サイン会を中断しては悪いという理由から)そのまますうっとどこかへ行ってしまった。登美彦氏はきょろきょろしたが、綿撫さんに「森見さん!きょろきょろしない!」と叱責されたので、背筋を伸ばした。 「あの一瞬、ちょっと気もそぞろになっていたことをお詫びしたい。あのときサインしていた方々にお詫びしたい。しかし、こればかりはもう、しょうがない!」 日頃から筋肉を鍛えている登美彦氏も、さすがに疲弊した。自分の名前が自分の名前に見えなくなるという経験をした。あやうく「森見登美子」とドコの誰だか分からない女性の名を書きかけた。頭がくらくらしてきた。 「やはり今回も人数の多さに慌てて、そして初対面の人が苦手ということもあり、静かで無愛想なサイン会になってしまったことをお詫びしたい。本当はお一人づつ悠々と名前を書き、悠々と語らい、もてもてぶりをアピールしたいところだけれども、やっぱりそういう腰の据わった対応をするのはワタクシには難しい。来てくださった方々の中には『つまらん!地味!』と思われた方もいらっしゃるだろうが、まあ、現実というのはこんなものだ、淋しいものだと、諦めて頂ければ幸いです。どうもありがとうございました」 常日頃、登美彦氏の子どもたち(『太陽の塔』『四畳半神話大系』『きつねのはなし』『夜は短し歩けよ乙女』)を育ててくれている書店員の人たちも大勢やってきた。登美彦氏は「この不甲斐ない父親は子どもたちを千尋の谷に蹴り落としたまま崖っぷちでボンヤリしているのでどうか子どもたちを宜しくお願い致します」というような挨拶をしたが、はっきり言って、しどろもどろであった。 見送りには編集者の綿撫さんと、登美彦氏の同僚で東京へ転居した恩田夫妻がやってきた。恩田夫妻はナゼか引っ張りこまれた「おめでとうの会」でお酒をなめながら登美彦氏を見物していたので、若干酔っていた。 そうして彼らは最終の新幹線の前で記念写真を撮り、京都へ戻る登美彦氏を万歳三唱で送り出した。新幹線が走り出した後も、恩田氏は新幹線を追いかけてホームを走り、感動の別れを満喫した。繰り返すが、たぶん若干酔っていたのである。 編集者の綿撫さんの御母堂が目を覚まして電話をかけると綿撫さんが目を覚まし、綿撫さんが電話をかけると森見登美彦氏が目を覚ました。 そして言われるがままに祥伝社へ出かけ、言われるがままに珈琲を飲み、言われるがままに綿撫さんの握ってくれたおにぎりを頬張って栄養をつけた。綿撫さんはその界隈で知らぬ者はないというほどのおにぎりづくりの達人であるという。 登美彦氏は『新釈走れメロス他四篇』について、別冊文藝春秋とYahooの取材を受けたのち、「いざ!」とペンを握って会議机に向かい、日本中の書店の方々へ差し上げる色紙を60枚書いた。 さらに登美彦氏は「いざ!」とペンを握って会議机に向かい、350冊の『新釈走れメロス他四篇』に華麗かつ平凡なサインをした。登美彦氏がサインをするそばから、祥伝社の人々が落款を押したり、検印を押したり、合紙を挟んだり、箱につめたりした。あまりにも地味な作業であったので、登美彦氏も祥伝社の人々もしばしば煙草を吸ったり、あくびをしたり、壊れた窓をうっかり押し開けて転落死しかけて命の尊さを知ったりして心を引き締めた。そして、愛の籠もったサイン本を作ることを心がけたのである。 文豪の泊まったホテルであると聞かされていたので、文豪ごっこをしようと登美彦氏は企んでいたが、たいへん疲れていたので文豪のふりをするひまもなく、ただの一般人として眠りこけてしまった。 「どうもな。一部にそう言う人がいるのだけれども、モリミーというのはどうかと思うのだ。いや、ほんまに。格好をつけているわけではなく」 僕はたいへん頭が良く、しかも努力を怠らずに勉強するのである。だから将来はきっと偉い人間になるだろう。僕はまだ小学校の四年生だが、もう大人に負けぬほどいろいろなことを知っている。毎日きちんとノートを取るし、たくさん本を読むからだ。僕の知りたいことは数かぎりなくある。宇宙のことにも興味があるし、生き物や、海や、ロボットのことにも興味がある。歴史も好きだし、偉人伝とかを読むのも好きだ。ロボットをガレージで作ったことがあるし、「海辺のカフェ」のおじさんに天体望遠鏡をのぞかせてもらったこともある。海はまだ見たことがないけれども、近いうちに探検に行こうと計画を練っている。どんなものでも、実物を見ておくことは大切だ。百聞は一見に如かずである。 他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ。一日一日、僕は世界について学んで、昨日の自分を上まわる。たとえば僕が大人になるまでは、まだ長い時間がかかる。今日計算してみたら、僕が成人するまで三千と百九十一日かかることが判明した。そうすると僕は三千と百九十一日分偉くなるわけだ。その日が来たとき、自分がどれだけ偉くなっているか見当もつかない。偉くなりすぎてタイヘンである。みんなびっくりすると思う。結婚してほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれども僕はもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである。もうしわけないと思うけれども、こればかりはしょうがない。 森見登美彦氏の新居はいまだに片づかないが、本日ついに注文していた机が二つ届き、なんとか書斎としての体を整え始めた。明日は本棚が届くという。しかし三月にはサイン会などがあるため、登美彦氏の新居がきちんと機能し始めるのはおそらく三月後半と予想してよい。恋も仕事も滞る。 引っ越した部屋が片づかないので集中できず、さらに文章に悩み、時間はなく、睡眠不足でふにゃふにゃとなり、取材を受け、編集者の人と会い、ようやく眠れると思ったら目がさえて眠れなくなったので、登美彦氏はうぬうぬうめいて段ボールの隙間をうごうごした。睡眠が不足してくると登美彦氏は黒モリミマンに変身する。おもな能力は八つ当たりだ。 登美彦氏が段ボールの隙間を抜けていくと、小太りのふわふわ太郎(不運の神・不機嫌の神)が新居の隅へ遠慮がちに座っているではないか。 登美彦氏が蹴飛ばすと、ふわふわ太郎は泣きべそをかいてよだれを垂らした。「だって居心地がよいのだもの」 「三月の登美彦氏」は、「二月の登美彦氏」が京都を去るというので、京都駅まで見送りに出かけた。 氏は祥伝社から間もなく刊行される『新釈走れメロス』の準備をし、野性時代4月号のために新境地短編小説を書き、『夜は短し歩けよ乙女』番外編を書き、インタビューにこたえ、本上まなみさんと対談して生涯の野望を果たし、そのうえ引っ越しさえした。いったいグウタラ作家・森見登美彦氏のどこにそんな力が眠っていたのかと誰もが不思議に思っている。 二月の登美彦氏は着替えなどがはいった鞄をぶらさげて、「温泉だ」と言った。「編集者からのメールも届かないような、たいへん遠いところへ行く。帰ってくるのは来年の二月だ」 三月の登美彦氏が自室へ戻ってみると、未整理の段ボールが山と積まれて足の踏み場もなく、ただパソコンだけがゴミの中で稼働していた。そしてどうしようもないほど目前に差し迫った締め切りが三つ残っていた。 道々、登美彦氏の顔色はどんどん悪くなり、足どりは鈍くなった。「もうだめだ。絶対にだめだ」と氏は言った。「とてもお会いできない。お会いしても、なにをどうすればいいか分からない。いったいこのワタクシになにを喋れと!」 「だいたいこれを目標にがんばってきたのに、ここで願いが叶ってしまえば、私は今後いったい何を目標に生きていけばいいのだ。いや、願いが叶ったとたんに死ぬかもしれない。座敷に血反吐をはいて死ぬかもしれない。目の前で死んだりしては本上さんに申し訳ない。だからここで帰ろう。もう帰ろう」 「廊下ですれ違うぐらいが私の器にちょうど良かったのだ。野性時代の特集企画も、『森見登美彦氏、本上まなみさんとそこらへんの廊下ですれ違ったっぽい』でよかったのだ」 怖じ気づいた登美彦氏は、初対面の編集者の人に「なにを喋ればいいんですかね?」と相談をもちかけたりした。その惑乱ぶりは目に余るものがあったという。そして登美彦氏はその後も、ことあるごとに対談場所の座敷と便所と台所を行き来し、落ち着きがないことこの上なかった。あまつさえ「お腹がすいた」と言って食事に行こうとさえした。 登美彦氏はてっきり先に行って相手の登場を待つものだと思っていたらしく、座敷をのぞいたら目の前に本上まなみさんが座っていたので、びっくりした。本上氏は登美彦氏を見て「あ!」と言った。登美彦氏も「あ!」と言った。そしてそのまま後ずさりしたが、しかし逃げ場所もないので、「どうもどうもはじめまして森見です」と言った。本上氏は「本上です」と言って笑った。 登美彦氏がこっそり外堀を埋めていたということは、すでに某機関の調査によって明らかになっている。文庫本の解説を依頼した後、さらに著書を献呈していたという手口はかなり悪質なものだ。しかしこれらの事実を登美彦氏は頑強に否定している。 「末娘が活躍しているからといって、登美彦氏は少々イイ気になっているのではないですか。親のあなたがしゃしゃり出て、青春時代の総決算をする権利はないのではないですか」という意見をつきつける人もあった。「誌面はあなただけのものではないのだ。そんな風にニヤニヤして!職権乱用もいいところだ!売れっ子気取りもたいがいにしろ!」 対談なのに登美彦氏が黙しがちだったのは嘆かわしいことであるうえに、本上氏にも失礼である。少し時間がたって舌が動くようになってからも、登美彦氏は言わねばならぬことを言い落とし、言わんでいいことばかり言ってのけた(この点については登美彦氏もいろいろと後悔していると述べている)。 編集者の人たちは妙に面白がっている風があり、登美彦氏は「けしからん!」と呟いた。「ありがたいことだが、けしからん!」 さらに登美彦氏は本上氏と一つの写真におさまった。登美彦氏は自分の写真は無用ではないかと思ったけれども、しかし喋った証拠が残らないので、やはり写真には写らねばならないと考え直したという。 対談における登美彦氏はぐにゃぐにゃであり、本上氏に「女の子も本当はいろいろ考えているんですよ。妄想もするし、人には見せられない格好でぐだぐだしたりもするんですよ」と優しくダメだしされても、ダメだしされているという状況にすでに喜んでいるという、人間としてもう救いようがない状態に陥っていたという。見るに見かねた編集者の人たちは、「まあこれはこれでいいか」と思ったという。 登美彦氏は本上氏の『太陽の塔』にサインをし、そして自分の手帳を広げて本上氏に黄金のサインをしてもらった。「サイン一画は金一粒!」と登美彦氏はわけの分からないことを言っている。登美彦氏は自宅にあった数匹のもちぐまのうち、一匹を本上氏のお宅へ里子に出すことにした。そして絵本『ラ・タ・タ・タム』を贈った。 贈った意図について、「本上さんが24時間営業の母親業を営むにあたり、有効活用して頂ければ幸いである」と登美彦氏は述べている。 「プレゼントを贈ることもでき、文庫本解説のお礼を述べることもでき、私としてはたいへんよくできた。私の寡黙ぶりが発揮され、対談として成立させるのは難しいかもしれないが、そこは編集者の人が工夫してくれることであろうと思う。多少、嘘でもいい。ほとんど嘘でもいい。しかし対談の席で言えなかったことを言っておく。とにかく、大学時代の四年間を通して、本上さんは憧れの人であった。子ども時代に染みついた記憶は特別であるように、あの四畳半時代に染みついた記憶もまた特別である。それはもはや自分の意志で書き換えることができるものではないし、書き換えるつもりもない。現在の私は本上さんの活躍を逐一追っているという人間ではないけれども、本上さんがどこかで活躍されていることを嬉しく思い、そして深く満足する。職権を乱用して本上さんとお会いすることは、作家になった瞬間、あるいは作家になれるよりも以前から、絶えず私が目指してきた目標であった。向かうところを失った私はもはや自由自在であり、どこへなりとも行ける。ふらふらと気まぐれに駆けていった先で、またばったり本上さんとお会いできることを祈るものである」 後世の登美彦氏研究家は「この日を境に目標を見失った森見登美彦氏の迷走が始まった」と書くだろう。 「登美彦氏め、にやにやと職権乱用して!そのくせほとんど喋れてないじゃん!」と思う人は読まない方が無難である。 百物語というのは、大勢の人が座敷に集まって百本の蝋燭を立て、怪談を一つ語り終わるごとに蝋燭を吹き消していくという遊びだと聞いたことがあった。私は、仏壇に立てるような白くて小さな蝋燭を思い浮かべていて、それでは怪談を語っているうちに最初の蝋燭は燃え尽きるだろうと思った。かといって、伏見稲荷で見かけるような、あの甘たるい匂いのする太い蝋燭を百本も立てるとなると、あまりに大げさで、今にも火事になりそうだ。そんな遊びができるものかと思っていたが、F君によると、蝋燭ではなくて灯油の皿に灯心を百本ならべるという方法もあるらしい。しかし「灯心」と言われても、私は実物を見たことがないから分からない。 怪談をするたびに一つづつ明かりを消して、自分たちの身の回りを徐々に闇へ落とし込み、やがて来たるべき何かの気配へ心を澄ませていく。百物語はそういう不気味な遊びである。しかし、これもF君の受け売りだが、百本の明かりをぜんぶ消すのは無謀なことで、その決定的瞬間までは敢えて至らずにすませるものだそうだ。決定的瞬間とは、最後の明かりが消されて座敷が闇に没し、真の化け物が姿を現す時である。 覚えておいででしょうか。部活時代、春合宿先の野外活動センターにて、森見さんが魂の保湿のために隠し持っていたグラビア写真集を失敬し、関係者各位へ回覧した、あの守田一郎ですよ。森見さんが部室のノートに書き散らした文章を読み耽っては、おのれの文才を無用にねじ曲げていた守田一郎であります。お懐かしうございます。守田は、森見さんから「懐かしい」という言葉が聞きとうございます。 大学を卒業された森見さんの、上京区・左京区をまたにかけた、主に机上のご活躍、つねづね遠巻きに拝見しております。森見さんが綴られるへんてこな文章は、かつてあの部室の片隅にあったノートに記されていた文章と瓜二つ、私を青春の暗がりへ引きずりこんだ元凶が全国津々浦々へ垂れ流されることになろうとは、いったい誰が想像し得たでしょうか。森見さんの書かれる文章を読むたびに、人間的腐敗の典型と若気のいたりに充ちた日々を思い出します。 恥ずかしながらワタクシ、こちらに来てから「文通武者修行」を始め、文才を磨きに磨いております。 そこで森見さんへ手紙を書いて、お教えを乞おうと思いついたのです。どのような美女をも手紙一本で籠絡すると名高い、森見登美彦先生の究極奥義を伝授して頂ければ幸いです。 そういえば国立近代美術館で藤田嗣治展をやっているようです。私も京都にいる頃は、女性と一緒に国立近代美術館の常設展へ出かけて藤田嗣治を眺め、喫茶室で珈琲を飲んだことだってあるのですよ。森見さんも地下に籠もって猥褻なことへ思いを凝らされるばかりでなく、たまには文化的生活を満喫されては如何でしょうか。文筆も猥褻もほどほどに。 「かつてはこんな事態になると思ったこともなかったが、しかし、そうなっているのだから驚くほかない・・・人生というのはわけのわからないものだ」 森見登美彦氏は雑誌Yのための小説を書き上げ、インタビューに答え、同僚の御母堂からヴァレンタイン・チョコを受け取り、通勤電車中でゲラを読み、駅でバッタリ出会った読者から「中学生日記風」にヴァレンタイン・チョコを受け取り(しかも事態が飲み込めずにうごうごし)、読売新聞インタビューのせいで行きつけのラーメン屋に面が割れ、雑誌Yのためのべつの小説を書き続け、同僚からもヴァレンタイン・チョコを受け取り、登美彦氏には太刀打ちできない執筆依頼を無念ながらお断りし、栄光の対談へ向けてイメージトレーニングに励んで心の筋肉をつけ、編集者諸氏からの電話を受け、メールを書き、構想を練り、またゲラを読み、ラーメンをすすり、ベーコンエッグを焼き、そしてまた編集者諸氏およびファンからのヴァレンタイン・チョコを受け取り、三月にこの世へ登場する第四男のゲラを読み、さらに引っ越しの支度をしている。 洛西の竹林へ通っては、奴隷のごとく黙々とノコギリを振るい、切り倒しては積み、切り倒しては積むだけの日々。誰からも賞賛されない、孤独な営みが続くであろう。彼の前に道はなく、彼の後ろに道ができる。 だがいずれ、その努力が報われる栄光の日がやってくる。竹林は美しく整備され、タケノコはにょきにょき生える。竹林の前に豪華な門松をならべて、登美彦氏が完成記者会見を開くと、群れ集う報道陣がフラッシュをたく。見よ、竹林整備という過酷な作業を戦い抜いた彼の肉体を。道行く誰もが振り返るほどムキムキだ。二の腕一本に美女をぶら下げて白い歯を見せて快活に笑う登美彦氏の写真が、筋肉専門誌の表紙を飾るだろう。そして一躍筋肉作家となった登美彦氏は筆名をマッスル・トミーに変え、筋肉小説を多数の雑誌に連載し、筋肉仲間たちとたがいの筋肉を讃え合い、キーボードを叩くのがやっとの筋肉しかなかったあの頃、なにもかもが光り輝いて見えたあの頃のことを忘れ果て、旧友と会っても「年収と筋肉」の話しかできない男になる。 そんなある日、ゴージャスな美女を二の腕にぶら下げて道を歩いていた登美彦氏は、通りかかった竹林の前でふと足を止める。彼女は登美彦氏の逞しい腕にぶら下がりながら無邪気に見上げる。「どうしたの、トミー?あなたの上腕二頭筋が震えているワ」 明石氏が登美彦氏のかたわらでノコギリ素振りをしながら、「妄想はそのぐらいにすればどうだ」と言った。「とりあえず、早く刈ろうゼ」 机上を離れた日常は、ことごとく他流試合のようなものだ。掃除も炊事洗濯も通勤も恋も仕事も酒席の礼儀作法も編集者との打ち合わせも、一切がことごとく意のままにならない。他流試合を勝ち抜くことに意義を見いだす人もいるけれども、私はごめんだ。机を離れるとき、私の身体はぎくしゃくし、頭はうまく働かず、事務処理能力はいずこへかと消え去る。したがって色々と故障が起こる。ブッキングはつねにダブルとなる宿命にあり、酒席からは逃げ去る。そんなことをいちいち詫び始めればきりがなく、ついには生まれてきてスイマセンと偉大な先達が述べたあの恐ろしい袋小路へ迷い込むほかない。だから日常のこまごまとしたことについてお詫びはしない。あくまで傲然と。 彼女と姉の通う洲崎バレエ教室は三条室町西入る衣棚町にあって、三条通に面した四階建ての古風なビルであった。彼女たちは土曜日になると、ノートルダム女子大学の裏手にある白壁に蔦のからまった自宅から母親に送り出され、二人だけで地下鉄に揺られて街中の教室へ通ってきた。 地下鉄烏丸御池駅からバレエ教室までの道のりはむずかしいものではなかった。三条烏丸の南西に堂々と聳えたつ煉瓦造りの銀行の角を曲がって、三条通りをまっすぐに進んでいけば、やがて左手に目指すビルが見えてくる。迷うはずもない一本道であるにもかかわらず、彼女は用心深く、姉にぴったりと寄り添って歩いた。繰り返し辿るその道を、彼女は「ここで上る」「ここで右へ曲がる」というように、自分の身の振り方として覚えこもうとする癖があった。姉が少しでも違う動きをすると、彼女は頭がこんぐらがって、見慣れたはずのその界隈がふいに見知らぬところに思われてくるのだった。 「忙しい忙しいと言って回る人間にかぎって本当は忙しくないものだという・・・しかしどう考えても忙しいのだが、忙しい忙しいと言っている私は忙しくないのであろうか。所詮へなちょこ作家ということか!コノヤロウ!」 先日学会誌に発表された研究によると、半径5メートル以内に「ハチミツとクローバー」のDVDが2枚存在すると、「自転車で自分探しに出かける」確率が飛躍的に高まるという。たとえそれを避け得たとしても、「仲間といっしょに海へ出かける」可能性を回避することは極めて困難だ。現今の情勢下にあって登美彦氏が自分探しを始めたり、海へ向かって叫びに行ったりすれば、一部の人(編集をなりわいとする方々)が泣くだろう。 宅配されてくる途中に盗難にあい、編集者からの愛が溢れてしたたり落ちる手紙も、何だったのか分からない香港土産も、世間の荒波の合間へ連れ去られたのである。 森見登美彦氏は女性について勉強するために、anan(2007.1.24)の「いまどき男子を手玉にとるための色気の黄金比、習得レッスン」を読み耽っていた。 なぜ登美彦氏がいそがしい生活の合間を縫ってananを読んでいたか、そもそもなぜ登美彦氏の書棚に一冊のananがあったかというと、取材された記事が載ったからである。ちなみに登美彦氏が「ananから取材される」と言うと、両親は「なんでやねん!」と爆笑したという。さらにいえば、職場の同僚も爆笑したという。 「まあ、生んでしまったあとは、もう私の手ではどうにもならないことだからな。おまえはおまえで頑張るのだ」 「おまえはおそらく私が生み出し得るものの中で、最強に素直で愛嬌のある子だからな。兄さんたちのように気むずかしかったり、人を怖がらせたり、ましてや腐っていたりしないからな」 「おいおい勘弁してくれ。みんなオレあってのことだろう。もっとオレを尊敬しろ!宇宙的規模のこのオレを!」 「我が愛娘を応援してくださる方々、また本屋大賞候補というものに選んでくださった書店員の方々に、感謝の意を表します。わけてもフリーペーパーを作ってくださった『まなみ組』の方々には感謝します。素晴らしい紙粘土達磨を作ってくださった方には、最大限の感謝の意を表します。達磨は太陽の塔の模型と並んでおります。生んでしまった作品の活躍ぶりというのは、ほとんど私の手柄ではないのだが、やはり娘の活躍を眺めるのは楽しいものだな!」 妄想作家森見登美彦氏は、作家として行き詰まった場合の布石として「多角的経営」を志し、竹林経営へ進出してみることにした。十月のある晴れた竹林日和、登美彦氏は洛西の竹林へ分け入ってみたが、荒れて薄暗い竹藪をうろつく己が不審者以外の何者にも見えないことを発見した。子兎のごとく淋しがり屋で、一緒に竹を刈ってくれる心の友を必要とした登美彦氏は、ともに笑いともに泣いてきた盟友・明石氏へ協力を要請した。頼りになる友のかぎりなく無力に近い腕力と法科大学院仕込みの知識を武器に、登美彦氏はみごと竹林を整備して、二十一世紀竹林経営のパイオニアとなることができるのか?洛西の竹藪に夜明けは来るのか?はたして登美彦氏の未来は薔薇色か? しかし書くそばから原稿がどこかへ行ってしまうことを、愚かな登美彦氏はまだ恨みがましく思っており、こんな歌を歌いだした。 (ただし、登美彦氏はこの厄介者の長男がもっとも好きであるという。なぜなら初めての子どもだからだ。) なぜ朝から登美彦氏が悠々と餅を焼かねばならなかったかというと、「黴が生える寸前」と言われたからである。 森見登美彦氏は編集者の人々との待ちあわせ場所へ赴いたが、なんだか大勢がやってきていて、物々しい雰囲気であった。登美彦氏はいささか驚いた。 その悪だくみは登美彦氏と編集者が手を結んだ悪だくみと、編集者の登美彦氏に対する悪だくみの二種類であった。編集者の方々は登美彦氏が用心深く隠している(と思い込んでいる)自尊心をちょろちょろくすぐり、くすぐられて喜んでいるうちに、登美彦氏はまたうかつに約束をしてしまった。登美彦氏は、京都一、キャッチセールスにひっかかりやすい男として知られている。 帰途、夜道を歩きながら、登美彦氏は「どれだけ頑張って書いても、みんな取られてしまうのだからな!」と地団駄踏んだ。「ありがたいこと限りないが、なぜだか激しく納得いかんよ!」 たいへん遅れたが、森見登美彦氏はもちぐまたちに招集をかけ、二○○七年を迎えるにあたっての挨拶をした。登美彦氏は二○○七年の三大目標として、現代の本もできるだけ読んでみる、〆切をできるだけ守る、できるだけ喰う寝るぐうたらする、を挙げた。 しかし二○○六年、登美彦氏はその自己管理能力のなさを自在に発揮して、ほとんど自分が何をやっているのか分からない状況へ陥った。 「よりいっそう自己管理能力を伸ばし、そしてよりいっそうぐうたらしよう。温泉にも行こう。そのためには、『レディ・ジョージイ』とか観ている場合でもないし、ましてや『龍が如く』でキャバクラとバッティングセンターへ通いつめているわけにもいかないのである」 登美彦氏はようやく仕事を納めることにして、美味しいものを食べたりお酒を飲んだり煙草を吸ったりし、ハリーポッターのDVDを連続して観賞し、ハーマイオニーの可愛さの変遷について父親と激論を交わしたりした。そんなことをしているうちにこの激動?の一年を振り返る余裕もなく、二○○六年も残り二十分ぐらいとなってしまった。 「このままなしくずしに二○○七年を迎えてしまうのもまた人間として正しいあり方ではないのか。そうではないか。わざわざ一年を総括しなくたって、もうよいではないか・・・」 二年ぶりに本が二冊出たほかは、大半の記憶は仕事をしているか、文房具を買っているか、神社でカルピスを飲んでいるか、それだけである。 「それでは皆様、よいお年をお迎え下さい。『ゆく年くる年』をきちんと見ましょう。これさえ見ているならば、日本人として必要十分な年越しであります・・・」 今から一年前にも書いたような覚えがあるが、なにしろきちんと掃除をしなければ、永遠に続く大晦日という時空へ閉じこめられて年が越せないという恐ろしい現象があるからである。 登美彦氏の部屋は、それはもうひどいありさまだったのである。これは登美彦氏の怠惰が原因とも言えるが、しかしその売れッ子ぶりに原因があるとも言える。 あのぐちゃぐちゃの四畳半に六年暮らした登美彦氏ですら音を上げたのだから、部屋がいかに惨憺たる状況にあるか言うまでもない。 やや変色した数枚のA4紙が出てきて、そこには「ええじゃないか騒動」とか「ゴキブリキューブ」とか、くしゃくしゃと書いてあった。そのわずか数枚の紙こそ、あの待てど海路の日和なき日々、四畳半に籠もって書いた『太陽の塔』のためのメモであったので、登美彦氏は思わずじっと座り込んだ。 中でも最たるものは、登美彦氏が裏紙に情熱のおもむくままに描きなぐった『未来少年名探偵淀川コナン』という見るも無惨なマンガであった。主人公の野生児コナンはいろいろな経緯があって身体が縮んで(幼児化ではなく縮小)、さらに名探偵になり、さまざまな秘密道具を駆使しながら事件を解決する。 「俺の秘密道具を紹介しよう。まずは蝶ネクタイ型蝶ネクタイ、ようするにただの蝶ネクタイである」 登美彦氏が本当に仕事を納めるのは大晦日の午前十一時頃になるであろう。そして正月の夜あたりが仕事始めになるのは火を見るよりも明らかだ。 「しかし勘違いしてはならん!」と登美彦氏は呟く。「これは我が子が頑張っているにすぎない。親は我が子の存在の原因であるが、とはいえ我が子のがんばりは我が子のものだ。・・・しかしまあ、それでもやっぱり嬉しいものだな!」 「年末年始にグウタラと、こたつで拙著を読んで頂けるならばありがたい。ぬくぬくと拙著を読んでいる読者が私は好きだ。その読者が可愛い黒髪の乙女であればなおさら好きだ。『ええ話や』としみじみ言ってくれる人であればなおさら好きだ。『こんな乙女がいるわけがない』とか『文章がうざい』とか『マンネリ』とか『くたばれ』とか『パクり』とか、そんな泣きたくなるような野暮なことを仰りなさんな。一度読んでしまった人はもう一度読めばよい。二度読んでしまった人はどうするか。むろん三度読めばよい。我が子をよろしく。ついでにへなちょこな親へも、一抹の愛を分けて頂ければ幸甚である。念のために言っておけば、タイトルは『夜は短し』である。お間違えなきやう。『帯に短し』ではない」 「ちなみに私の前々作は『四畳半神話大系』である。『四畳半タタミなんとか』ではありませんよ!」 |